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国立西洋美術館のロンドンナショナルギャラリー展へ行ってきました



 6/24(水)に、コロナの影響で延期になっていた、上野の国立西洋美術館のロンドンナショナルギャラリー展へ、ようやく行くことができました。

 感染対策はどうなのかと危惧した面もありましたが、チケットは時間指定制の上に、館内に案内される人数も制限されていて、ソーシャルディスタンスを守るための足元テープや、サーモグラフィの設置、マスクの着用も徹底されていて、安心して絵を鑑賞することができました。
 人数制限があったので、普段より絵の前に集る人も、ぐっと少なく、ゆったり観れたのは嬉しかったです(商業的には気の毒ですが…)
 けれども、早く、コロナが収束して、もっと自由に絵を見て回れるようになればいいのに。


 ロンドンナショナルギャラリーは、ロンドン中心部、トラファルガー広場に面して建つ美術館で、1824年に設立されました。同館は西洋絵画に特化し、13世紀後半から20世紀初頭までの約2,300点の作品を所蔵しています。行きたくても、イギリスは遠い。行くにはお金もかかるし休みも取れない。おまけにコロナで渡航制限だし、日本にいながら、その中から61点もの作品を見れるなんて至福の喜びです。

     ナショナルギャラリー
      トラファルガー広場に面したロンドンナショナルギャラリー


今回のロンドンナショナルギャラリー展では、日本で初の一挙61点を公開ということもあり、私事なのですが、フェルメールの『ヴァージナルの前に座る若い婦人』を『ピータバロ~青年画家とお嬢様のハートフル美術系ミステリ-』と題した自作小説のモチーフにしていたこともあり、チケットの指定券が取れた瞬間、もう心臓がドキドキ、ワクワクでした。

 ついでなんで、自作小説の紹介を(#^.^#)

『ピータバロ~青年画家とお嬢様の美術系ハートフルミステリ-』
↑小説家になろうに掲載しています。

ピータバロ ~青年画家と名犬パトラッシュの物語
 画:風梨凛 絵の舞台はイギリスの小都市、ピータバロ


  ロンドンナショナルギャラリー展に話を戻さねば。

 今回の展覧会は、イギリスがどのようにヨーロッパの西洋絵画に影響を受け、受容していったかを客観的に捉えるために、テーマごとに7つのコーナーに分けられていました。そのテーマ毎に、私が気になった作品を1点ずつ、ご紹介します。


Ⅰ イタリア・ルネサンス絵画の収集


 16世紀のフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィア絵画は、ロンドン・ナショナル・ギャラリーのコレクションの中核をなす分野であり、ルネサンス絵画の収集にも重きをおいている。


   o0984075214639004877.jpg
    聖ゲオルギウスと竜 1470年頃 パオロ・ウッチェロ

 聖ゲオルギウスは、ドラゴンの生贄にされそうになっている王女を助ける。そして、町中の人々がキリスト教の洗礼を受ければ、自分はドラゴンを退治できると約束し、それを実行する。
 この絵には、聖ゲオルギオスは大天使ミカエルの地上の姿であり、天上でドラゴンに苦しめられた王女は、シンボル化された聖母マリアということであり、聖ゲオルギオスはマリアを救うことでキリスト教を守ったという意味も込められている。

 キリスト教の聖人伝説をまとめた『黄金伝説』には数多くのドラゴン退治物語が記載されており、聖ゲオルギオス伝承もその中に記載されている。 

 『聖ゲオルギウスと竜』を描いた絵画はたくさんありますが、ゲオルギウスが持っているのはほとんどが長槍です。ウッチェロの竜はちょっと爬虫類っぽいですね(゚д゚)



Ⅱオランダ絵画の黄金時代

 19世紀にイギリスは17世紀のオランダ絵画を買い集めた。地理的にも近く、交易や商業で繁栄したオランダの文化は、19世紀にそのあとを追い海洋帝国としての栄華を極めたイギリスにとっても親しみやすいものだったからだ。

 このコーナーに私が待ち望んでいたフェルメールの絵があるのは、調査済み(笑)でしたので、展示室に入館したとたんに、絵の前に行きたくて行きたくて、結局は他の絵を飛ばして、この絵の前に先に行ってしまいました。もちろん、他の絵も後でしっかりと見ましたよ。

『ヴァージナルの前に座る若い婦人』は、1675年頃に描かれた現存する、ヨハネス・フェルメールの最後の作品と言われている油絵です。

              ヴァージナルの前に座る婦人
              『ヴァージナルの前に座る若い婦人』 1675年頃 ヨハネス・フェルメール

 鍵盤にそっと手をかけた若い婦人のたおやかなポーズと、鑑賞者の方向に向けられた蠱惑的な眼差し。画面の左下から差す柔らかな光は、青のドレスの襞を波のように画面に浮かび上がらせている。

 この”フェルメール・ブルー”とも呼ばれる、高貴な輝きをもつ青の正体は、宝石のラピスラズリを砕いて作られた顔料の”ウルトラマリンブルー”であり「星のきらめく天空の破片」とまで称されるラピスラズリを、当時は大変な高値だったにもかからわず、フェルメールは惜しみなく、一枚の絵画を描きあげるのに使っていたという。

 絵の右上に目をやると、大きな一枚の絵が飾られている。この絵はディルク・ファン・バビューレンの『取り持ちの女』という作品で、売春婦と客、その取り持ち女が描かれている。フェルメールは、『取り持ち女』の粗野な俗世界と対比させることで、『ヴァージナルの前に座る若い婦人』の家庭的な平和や高貴さを際建てせようとした。

 フェルメールの絵はどの絵も小さいのですが、色彩や窓辺から差し込む光の具合がとても美しいです。現存するフェルメールの絵はたったの35点。全盛期の作品に比べて、『ヴァージナルの前に座る若い婦人』は細かい模様等が形骸化されていて、評価は低いと聞きましたが、私はこの絵が好きです。フェルメールの作品の中では、彼女が一番、美人です!
 


Ⅲヴァン・ダイクと イギリス肖像画

 17世紀前半のフランドル人画家ヴァン・ダイクは、18世紀のイギリス肖像画に強く影響を及ぼした、。イギリスの画家たちが、ヴァン・ダイクによる型をどのように引き継いだかを各々の絵画の展示によって、検証する。

           トマス コルトマン夫妻
           『トマス・コルトマン夫妻』  1770~72年頃 ジョゼフ・ライト・オブ・ダービー

 『トマス・コルトマン夫妻』は、18世紀のイギリスの画家、ジョゼフ・ライト・オブ・ダービーによって描かれた”カンヴァセーション・ピース”と呼ばれる、会話を楽しんでいるような雰囲気を醸し出している肖像画。
 かつての貴族の権威を示すための肖像画と違って、背景は自宅、馬と犬が見つめあっている姿など、随分、砕けた表現で描かれている。
 よく見てみると、コルトマン夫妻の夫のズボンのポケットからはコインが飛び出し、愛嬌がある。

 夫妻はダービーのパトロンだったようで、親し気な感じがよく出ています。



Ⅳ グランドツアー

 18世紀、イギリスでは上流階級の子息たちが遊学のために、イタリアを訪れることが流行し、それは、グランド・ツアーと呼ばれた。そうした旅行者たちが持ち帰ったヴェネツィアやローマの都市景観図(お土産の絵葉書みたいなもの)を通じてイギリスに広がった。


   イートンカレッジ 1754頃 カナレット
   イートンカレッジ 1754頃 カナレット 

 カナレットは、本名をジョバンニ・アジョバンニ・アントニオ・カナルといい、グランドツアーに出向いたイギリス人旅行者に非常に人気があった画家。
 イートン校はイギリス、テムズ川に面した名門のパブリックスクールで、英王室のウィリアム王子やハリー王子の出身校でもあり、日本からは天皇陛下の長女、愛子様がサマースクールに参加したほどの超有名校である。
 カナレットは、イートン校の礼拝堂を正確に描写する反面、テムズ川周辺でくつろぐ人たちの姿や景観などは自由に描き、調和のとれた構図を作り出した。

 当時からお土産には絵葉書だったんですね。私も美術館に行った際には、必ず、絵葉書を買います。今も昔も皆、同じ。




Ⅴ スペイン絵画の発見

 19世紀初めのスペイン独立戦争にイギリス軍が参戦したことを契機として、ベラスケスやスルバランなどの作品がイギリスにもたらされ、評価が確立された。そうした歴史を作品を通じての検証。


         窓枠に身を乗り出した農家の少年 1675~80年頃 ムリーリョ
         『窓枠に身をのしだした農家の少年 1675~80年頃 ムリーリョ

 ムリーリョは、本名をバルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョといい、17世紀のスペイン黄金時代美術の歴史を代表する画家で、聖母像や、愛らしい子どもの絵を数多く手がけた。
 彼は子供を次々と5人もペスト等で亡くし、6人目の娘も耳が聴こえなかった。そのためか、子供を描いた絵も多数残している。
 今回のロンドンナショナルギャラリー展で来日した『窓枠に身をのしだした農家の少年』には、実は、対になる『ショールを持ち上げる少女 』という絵があり、その絵と照らし合わせてみると、年上の女の子に視線を送る思春期の少年の様子が窺える。

                       ショールを持ち上げる少女 1670頃
                       『ショールを持ち上げる少女』 1670頃 ムリーリョ 個人蔵

 思わせぶりな少女の視線がとても気になります。少年を誘惑しているのでしょうか(〃▽〃)




Ⅵ 風景画とピクチャレスク

 18世紀後半からイギリスでは、「絵のような(ピクチャレスク)」美を尊ぶ価値観が流行し、ロマン主義風景画が隆盛した。コンスタブルやターナーなどの風景画の巨匠の作品がいかにして生まれたのかをこのコーナーでは検証する。

 ジョセフ・マロウド・ウィリアム・ターナーは、イギリスで屈指の風景画家で、 1802年に史上最年少の26歳でイギリス美術界を担うロイヤル・アカデミーの正会員に選出されていいます。
 その画風は初期の写実的なものから、時代によって変化し、『ポリュフェモスを愚弄するオデュッセウス』は、後期の光の中におぼろげに浮かび上がった形で情景を描いた作品の一つです。

ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス 1829年
ポリュフェモスを愚弄するオデュッセウス 1829年

 古代ギリシアの詩人ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に記されている逸話で、英雄オデュッセウスが、一つ目の巨人ポリュフェモスを酔わせ、巨人のいる島から脱出する場面を描いた作品である。

      ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス 1829年 (2)

 画面中央の少し右上には泥酔したところで眼を潰されうつ伏せるポリュフェモスが描かれているが、その姿は後ろの景色と同化しておぼろげにしか見えない。

                ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス 1829年 (4)

 船の上には赤い旗を振るオデュッセウスと、逃げる船員たち。

                        ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス 1829年 (3)

 画面右側には、太陽神アポロンの光の馬車が描かれているが、こちらも登る朝日と同化し、画面の明るさを際立たせるとともに、神々しい効果をもたらしている。

 この絵を近くで見て、アポロンの馬車の形を見つけた時、鳥肌が立ちました。神々しいとはこういうことかと。



Ⅶ イギリスにおける近代美術受容


 最終章では、19世紀フランスで進んだ近代絵画の改革がどのようにしてイギリスにもたらされていったのか。アングルから印象派を経てゴッホ、ゴーガンに至る流れを、イギリスの視点から紐解く。

 今回の展覧会では、ゴッホの描いたとされる『ひまわり』全7点(1点は焼失)の中の1点が来日していたのですが、ゴッホのサインが入っているのは、この絵と他1点の計2点だけです。これは、ゴッホが親友のゴーギャンを招くための”黄色い家”に飾るために描いたとされています。



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                      『ひまわり』 1888年 8月 フィィンセント・ファン・ゴッホ


 ロンドンナショナルギャラリー展では、今回来日した作品の他、6点の『ひまわり』の絵の写真のパネル展示がありましたが、1点は焼失したしまったとはいえ、ゴッホの絵が2点も日本にあったとは驚きです。
 以下に、その7点を年代順に紹介しておきます。


          1888年 個人贈(アメリカ)
          1888年 個人贈(アメリカ) 

                          
          1888年 焼失(山本顧彌太 旧蔵)
          1888年 焼失(山本顧彌太 旧蔵)                   

 1920年(大正9年)に実業家の山本顧彌太が、スイスにて7万フラン(約2億円)で購入。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月6日、アメリカ軍の空襲(阪神大空襲)を受けて焼失した。

          1888年 8月 ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン)
          1888年 8月 ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン)


          1888年 8月 ナショナルギャラリー(ロンドン)
          1888年 8月 ナショナルギャラリー(ロンドン) *今回、来日した絵です。


          1888年 12月~1889年1月 SOMPO美術館(東京)53億円
          1888年 12月~1889年1月 SOMPO美術館(東京)
                          
  日本がバブルの時代の時に、SOMPO美術館が53億円で競り落としたこの作品は、一時贋作問題が浮上し、調査によって真作と判断が下されたが、未だに贋作疑惑が取り沙汰されている。
 仮に贋作だったとしても53億も支払ったSOMPOとしては、認めるわけにはゆかないかも(;_;)


           1889年 1月 ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)
           1889年 1月 ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)



           1889年 1月 フィラデルフィア美術館(フィラデルフィア)
           1889年 1月 フィラデルフィア美術館(フィラデルフィア)


 
 待ちに待って、ようやく、観にゆくことができた、ロンドンナショナルギャラリー展。
 充分なボリュームがあり、テーマに添った展示も分かりやすくて、とても良かったです。

 今回は、ナショナルギャラリーが所蔵しているフェルメールのもう1点の絵画『ヴァージナルの前に立つ女』が来ていなかったので、そちらも見てみたいです。現地に行って観るのが一番なのでしょうが、いつか実現できればいいなあ。


 ロンドンナショナルギャラリー展の日程は、以下の通りです。東京展は、日時指定券を購入する必要があるので、行かれる方はご注意下さい。

東京展 国立西洋美術館(東京・上野)
2020年6月18日(木)〜10月18日(日)  午前9時30分~午後5時30分(金曜日、土曜日は午後9時まで)
※入館は閉館の30分前まで *要日時指定券
休館日 月曜日、9月23日
※ただし、7月13日、7月27日、8月10日、9月21日は開館

大阪展 国立国際美術館(大阪・中之島)
2020年11月3日(火・祝)〜2021年1月31日(日) 午前10時~午後5時(金曜、土曜日は午後8時まで開館)
※入場は閉館の30分前まで
※変更になる可能性があります
休館日 11月16日(月)、11月24日(火)、11月30日(月)、12月14日(月)、12月30日(水)〜1月2日(土)、1月18日(月)
※変更になる可能性があります


ロンドンナショナルギャラリー展公式HP


参考:ロンドンナショナルギャラリー展公式HP
    Wikipedia
     

谷川岳 一ノ倉沢トレッキング



 8月14日、新潟県の谷川岳ロープウェイ駅の近くにある”一ノ倉沢トレッキングコース”に行ってきました。

本来の計画では、下図のピンクのコース、谷川岳の頂上の”オキの耳”と”トマの耳”を目指すはずでした。
…が、この日は生憎の悪天候で、天神平は濃霧。天気予報は午後は雨。今回は、雨の時にはと考えていた赤のコースの一ノ倉沢トレッキングコースに予定を変更しました。


tanigawa1.jpg

(概    念    図)

         tanigawadake.jpg 

 ちなみにこちらは、最初にたてた計画です。次の機会に使おうかと。

【本来の計画】

登 山 計 画 書


日付       29年8月14日

目的        ハイキング

目的の山域山名   谷川岳



【行 動 予 定】

東京駅(Maxたにがわ・上越新幹線) 6:36 (1時間45分)上毛高原駅 7:53  関越交通バス ①乗場 8:00 (45分) 谷川岳ロープウェイ駅 8:45  
谷川岳ロープウェイ駅 9:15 (15分) 天神平9:30  
天神平 9:40  熊穴沢避難小屋 10:25  (徒歩45分)  天狗の留まり場11:10(徒歩45分)   
天狗の留まり場 11:15 谷川岳肩ノ小屋 12:00(徒歩45分)
昼休憩(30分)
谷川岳肩ノ小屋 12:30トマの耳 12:40(徒歩10分) オキの耳12:50(徒歩10分)


【戻り】

オキの耳13:00(10分)トマの耳13:10(10分)谷川岳肩ノ小屋13:20(35分)天狗の留まり場13:55熊穴沢避難小屋14:25(40分)天神平15:05(15分)谷川岳ロープウェイ駅15:30
谷川岳ロープウェイ駅 15:50 or 17:03(バス45分)上毛高原駅16:35 or 17:53上越新幹線(とき338号/18:25東京19:40(1時間45分)


*バス:上毛高原~ロープウェイ 3,850円 (上毛高原から谷川岳ロープウェイ駅までの路線バスとロープウェイのセット券(往復)) 上毛高原駅で購入できます。バスを降りる時に運転手さんに見せると、日付を押してくれます。これはお得!


               谷川岳バスセット券


 まあ、計画とは違い、実際はこんな風でした。


    とりあえず、ロープウェイで登った天神平は濃霧         
  20170814_091800.jpg 20170814_092502.jpg
                             せっかくなので、少しだけ頂上に向けて登ってみる
                             でも、悪天候の予報なので引き返す


 そして、下図が今回歩いた一ノ倉沢トレッキングコースです。
   
谷川岳ロープウェイベースプラザ→(30分)→マチガ沢出合→(30分)→一ノ倉沢出合
  →新道の急坂へ→(20分)→ブナ林と河原を通り旧道へ上って戻る→(25分)→谷川岳ロープウェイベースプラザ



      一ノ倉沢トレッキングコース2


 このトレッキングコースは、谷川岳ロープウェイベースプラザから谷川岳登山指導センターを通過して、舗装された旧道を歩き、マチガ沢、一ノ倉沢を目指すコースです。この道は整備されたコンクリートの道で、電気自動車も通っています。


            電気バス
            高齢者と子供とその同伴者用です。若者は歩きましょう!

 
  山登りをするつもりの装備を整えて、谷川岳に着たので、舗装された道はかなり物足りない感じ。通りすがった谷川岳登山指導センターの指導員の方も、「お子さんでも楽々行ける道ですよ~」と言われていました。
 それでも、一ノ倉沢は、ロッククライミングでも有名で、魔の山と呼ばれるほどの遭難者を出している場所。どれほどの所なのかと、前から興味があったので、ここはテクテクと舗装の道を歩いてゆきました。(魔の山にしては、気楽ですが…)

  30分ほど、小雨に降られながら歩いて辿りついたのがマチガ沢です。
  おお、やっと青空が出てきました。こんななら山頂を目指せば良かったかもと、心が揺れます。でも、山頂側には相変わらずの雨雲が。悪天候の中を登頂する自信もないし、ここは気持ちを切り替えます。谷川岳は天候が変わりやすい場所と聞きます。それが、遭難が多い原因の一つだそうだから。

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                           マチガ沢 



 マチガ沢からさらに30分ほど歩くと、そこだけ異次元な景色が見えてきました。空から下の空間を切りとったかのような大迫力の景観。一ノ倉沢に到着です。



                一ノ倉沢5
                       一ノ倉沢のダイナミックさに圧倒される~



20170814_110903.jpg


  
           概念図

                                  



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                           万年雪が残っています


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                 沢の下を見学する人々、景色が壮大すぎてカメラに納まりきれません



 前述もしたように、一ノ倉沢は、遭難者が世界で最も多く、遭難者数でギネスにも登録された”魔の山”。統計の始まった1931年(昭和6年)からギネスに認定された2005年(平成17年)までに、781名の死者が出ています。

 景色を見ただけでも納得。この場所でロッククライミングをするなんて、超人すぎます。実際に沢の近くには遭難されて亡くなった人たちの慰霊のためのプレートが沢山岩肌に埋め込まれていました。
 けれども、ここを登りきることができた時の達成感って、どれほどのものなのでしょう。危険を感じるとともに物凄く憧れてしまいます。
 
 亡くなった方たちに合掌


 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*
 戻りは、舗装した道にも飽きたので、一ノ倉沢から、新道に入って土合駅の方向を目指すことにしました。

 これが、急坂の山道の連続で思っていたよりもキツかったのです。思わぬ所で登山用のスティックが役立ちました。坂の下に着くまで他の人には誰も会わないし、この道も、その先のブナの雑木林もまさに山道。先ほどの舗装の道に慣れてしまっていたので、もしかしたら迷ったのかしらと思わせるような道。
  ”こっちだよ! ”と言わんばかりに、木や岩や地面に杭やリボン等の目印をつけてあるのは、そのせいなのでしょう。特に急坂では赤い杭が目印だった(多分)のだと後で気づいたので、ちょっと最初は道、間違えたかなと思ったりもしました。(ちゃんと、道標と地図は見ていたけど…思っていたより雑木林感が強かったです(。-_-。)
 こちらが、目印のラインアップです。この他に河原には石にペンキで矢印が書いてあったりもしました。

   トレッキング4 b0275715_2301947.jpg ケルン
     こんな急坂の連続         足元にある目印の杭          こんなケルンも    


                    DSC07754.jpg
                               リボン              

       dsc09792.jpg


      トレッキングコース5       トレッキング2
      坂を下りきれば湯檜曽川の河原に出ます       *要注意 大雨が降ると増水して渡れなくなるそうです



 湯檜曽川の河原を横断してからは、ブナの雑木林を抜けて、再び最初に通ったチガ沢への旧道へ戻ることにしました。ここからは、登り道です。
                    新道分岐  



「あんなに苦労して下ったのにまた上るなんて、ナンセンスだ! このまま進んで土合駅へ行けば、有名な長階段が見れるのに」と、心は叫んでいましたが、ロープウェイ駅から上毛高原駅へのセットバス券を買っていたので、どうしてもロープウェイ駅に戻らねばならず、仕方がなかったんです┐(´-`)┌
 幸いに、登り道はそれほどキツくはなかったです。舗装の旧道へガサっと雑木林の中から這い出て来た私たちを見て、ハイカーの人たちが一瞬「その道を通ってきたんですか?!」と驚いた顔をされてました。森のくまさんになった気分(゚∀゚)

                             20170814_125039.jpg
                              途中で見つけたタマゴダケ 
                                食べれるそうです 

 
 そして、谷川岳ロープウェイ駅からバスに乗って、上毛高原駅に向い、帰りの新幹線に乗ったわけですが、今回は登山の予定を変更して、トレッキングコースにしたのでかなり時間が余ってしまいました。
 次回は、紅葉の季節にでも行ってみようかしら。谷川岳は紅葉の季節が特に素晴らしいと聞くので、それも良いと思います。その時には、今回行った一ノ倉沢の景色が本当に素晴らしかったので、ぜひもう一度、訪れてみたいです。



        20170814_104049.jpg
                     つかの間の青空 この雲の下に谷川岳の頂上が



  ちなみに谷川岳の双耳峰、水上・湯檜曽から見て手前(てまえ)にあるトマの耳(薬師岳:標高1,963m)の「トマ」は「手前」の意味。奥(おく)にあるオキの耳(谷川富士:標高1,977m)の「オキ」には「奥」の意味があるそうです。






 




テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

     

国立新美術館 『ミュシャ展』と『草間彌生展 わが永遠の魂』(草間彌生展 編)



 カラフルな色、無限に広がる水玉、前衛芸術家を絵に描いたような強烈なキャラ。
 「ミュシャ展」のブログにも書きましたが、国立新美術館で同時に開催されていた「草間彌生展 わが永遠の魂」に5/12(金)行ってきました。
 会期は、2017年2月22日(水)- 5月22日(月)。 会期中の総入場者数は、52万人以上(最終520,320人)を集めた大人気の展覧会です。

yayoi.jpg

 「ミュシャ展」の総入場者数が66万人であったことといい、この2つの展覧会がどれだけ美術ファンを喜ばせたかが、数字の上でも明らかです。私も含め、両方の展覧会を観た人はかなり多いのではないでしょうか。

                                                          やよい
                                                          やよいちゃん人形 (`0`)
                                                          

 まずは草間彌生さんのプロフィールから。

【草間彌生】

 前衛芸術家、小説家。
 1929年 長野県松本市生まれ。幼少より統合失調症が原因の幻覚や幻聴に悩まされており、それらの症状から逃れるために絵を描き始めた。水玉と網目を用いた幻想的な絵画を制作。京都市立美術工芸学校で日本画を学んだ。
 1957年 単身渡米、前衛芸術家としての地位を築く。
 1973年 体調を崩し、活動拠点を東京に移す。
 1993年 ヴェネツィア・ビエンナーレで日本代表として日本館初の個展。
 2001年 朝日賞。2009年文化功労者、「わが永遠の魂」シリーズ制作開始。
 2011年 テート・モダン、ポンピドゥ・センターなど欧米4都市巡回展開始。
 2012年 国内10都市巡回展開始、ルイ・ヴィトンとのコラボレーション・アイテム発売。
 2013年 中南米、アジア巡回展開始。
 2014年 世界で最も人気のあるアーティスト(『アート・ニュースペーパー』紙)。
 2015年 北欧各国での巡回展開始。
 2016年 世界で最も影響力がある100人(『タイム』誌)。2016年文化勲章受章。



今回の展覧会は、5つのブースと展示室以外の展示に分けられていました。

1.21世紀の草間彌生
  連作 「わが永遠の」(I-002~133)

 
 「わが永遠の魂」は、2009年に着手され、現在も描き続けられている大作絵画の連作です。全部で、130点が一挙公開で、全作品が日本初公開となります。
 まず、館内に入ると、草間彌生の画家人生の集大成ともいえるこの作品群に迎えられました。数の多さに圧倒されます。ここは撮影OKでした。


 作品のタイトルには、「私」「星」「夢」「死」「愛」「平和」「戦争」という言葉がよく使われていました。「自殺した私」という作品がいくつもあったのも印象的でした。この作者は、常に破滅や死という意識を持って作品を生み出しているのかなと。

 こちらは、私が撮った写真です(^∇^)
 色彩が鮮やかなので、どの作品も写真映えがしますね。とても派手な色使いなのに、けばけばしくなくて、調和がとれています。

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                      《明日咲く花》                         


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 こちらのサイトに、いつくかの作品の解説が載っています。
        ↓
 わが永遠の魂

 
2.初期作品

 故郷の松本で創作活動。1950年代に描かれた作品は、動植物、人間、天体、都市など、多岐にわたるモティーフをテーマに、東京でも何度か個展を開きました。

   《太陽》1953年 残夢 1949年
          《太陽》1953年             《残夢》1949年                

           初期の作品は、色合いが内臓っぽい。人間の肉体を描きたかったのでしょうか。

3.ニューヨーク時代

 《1957-1973》
 日本での芸術活動に限界を感じた草間は、1957年秋に単身アメリカに渡り、翌年にはニューヨークに居を移します。草間が最初  に高い評価を受けたのは、巨大なカンヴァスを小さな網目状のストロークで埋め尽くした、中心も際限もなく、構成を排除したモノクロームのネット・ペインティングでした。

         NO.AB
                            NO.AB


  ニューヨーク時代    《トラヴェリング・ライフ》
      若かりし時の草間彌生。凛としてて、かっこいい(^_^)         《トラヴェリング・ライフ》

 その後、男根状の突起を家具などにびっしり貼り付けたソフト・スカルプチュア、同一物の集積/反復によるアキュミュレイション、オブジェやイメージによって空間を埋め尽くすエンヴァイラメント(インスタレーション)、ハプニング(パフォーマンス)など、性や食品に対するオブセッション(強迫観念)を主題とした先駆的な作品を矢継ぎ早に発表し、注目を集めます。

          《自己消滅(網強迫シリーズ)》 集積21966年頃
                  《自己消滅(網強迫シリーズ)》 集積2 1966年頃


4.帰国後の作品 1970-2000 ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
  

  体調を崩し、1973年に帰国した草間は、東京で入院生活を送りながら活動を再開します。絵画や彫刻、インスタレーションにおいては、水玉、ネット、男根状の突起などをモティーフとした色彩豊かな作品を生み出しました。コラージュ、版画、小説や詩といった文学作品など、新しい分野にも挑戦します。
 小説「クリストファー男娼窟」は、野生時代新人文学賞になり、93年のベネチア・ビエンナーレでは日本代表として個展を開きました。
 性と死、無限の宇宙などの普遍的なテーマにもとづくこれら作品は、新しい観客を獲得しました。コラボレーションやタイアップも数多くおこなわれ、草間の作品世界はますます広がりました。


                 《自殺した私》1977年 東京都現代美術館蔵
                            《自殺した私》1977年   

                      かぼちゃ 1999年 
          《かぼちゃ》 1999年
          このデザインは人気ですね!




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             奇抜だけど、オシャレ


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             《天上よりの啓示》1989年
                          《天上よりの啓示》1989年





 *次の作品は、草間芸術の醍醐味のひとつとも言え、全面鏡貼りの暗闇の中、無数の小さな光がきらめく空間で、鑑賞者自らが作品の一部になるような感覚を体験できます。
 


        生命の輝きに満ちて2011年
                 《無限の鏡の間 生命の輝きに満ちて》2011年》

  鏡と電飾を上手く使った作品で、その中に立った者を永遠に続く世界に誘います。そこは、うっとりと深遠な夢を見ているかのような空間でした。




5.展示室以外の展示


 今回の展覧会では屋外にも、写真をとったり、シールを貼ったり、体験型の展示があり、楽しむことができました。
 
              南瓜 2007年                
                          《南瓜 2007年》



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  《余談》
 南瓜という作品は、今回の展覧会以外にも様々な場所に出現しています。どの場所にあっても存在感があって、草間芸術の強烈な個性を知らしめています。例えば、

    南瓜 瀬戸内海 直島
            《南瓜》 in 瀬戸内海 直島
    直島は、岡山の宇野港からフェリーで20分ほどの猫とアートの島


 *気になって直島を調べてみたら、かなり面白い試みをしている場所でした。アート以外にも、島外の人への移住や就職の世話をしていたり、島ぐるみで島おこし! 島の生活体験などもできるようで、ここは一度、訪れてみたい場所ですね。
   宮之浦港では、草間彌生作の赤いかぼちゃが訪れる人を出迎えてくれるとか。

                     赤かぼちゃ

  これは、『太陽の「赤い光」を宇宙の果てまで探してきて、それは直島の海の中で赤カボチャに変身してしまった』と草間彌生自身が語った作品。草間作品の特徴である水玉のいくつかはくりぬかれており、内部に入ることができる。

     直島の観光サイトはこちら
          ↓
     【直島(なおしま)観光サイト】



                   南瓜 京都祇園
                       《南瓜》 in 京都祇園フォーエバー美術館 2017.6月


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  ちょっと、横道にそれてしまいましたので、展覧会のお話に戻ります。展示室以外の展示には、こんな物もありました。
  始めは真っ白だった部屋に、訪問者が色とりどりの丸いシールを貼りつけるというものでした。そのコンセプトは?


       《オブリタレーションルーム》
       オブスタリーショールーム1
       この真っ白な部屋に観客が水玉のシールを貼ることで、家具も壁も消滅する。
      《オブリタレーションルーム》=自己消滅の部屋と名付けられたこの場所は日が経つにつれて水玉で埋め尽くされ、
       家具や物が溶けあうように感じられるはずだ。



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          私が行った時は、カーテンもテーブルも椅子もほとんどがシールに埋まって”消滅”してました。 
          右側の写真の中央少し上、熊の(犬?)顔のように貼ってあるのが私が貼ったシールです。分かるかな?
          


          《オブリタレーションルーム その後》
          オブリタレーションルーム2 
                        色々なモノが消滅!



  *今回の展覧会では、草間彌生さんの作品を直に鑑賞し、その斬新さは、まさに「The・現代美術!」といった感じでした。同時に新国立美術館で開催されていた「ミュシャ展、スラブ叙事詩」が壮大な歴史画だったこともあり、”現代と過去”を描く2人の画家の超大作の数々。この2つの展覧会を並行して見れたのは、とても興味深く、新国立美術館の企画は大成功だったのではないでしょうか。


 最後に東京・六本木の新国立美術館で、52万人を集めて閉会した大規模個展「わが永遠の魂」の開会式で、草間彌生がうたいあげた一節を紹介したいと思います。


   【さあ、闘いは無限だ
   もっと独創的な作品をたくさん作りたい
   その事を考えると眠れない夜が続きます
   創作の思いは未知の神秘への憧れだったのでした
   私は前衛芸術家として宇宙の果てまでも闘いたい
   倒れてしまうまで】



     

国立新美術館 『ミュシャ展』と『草間彌生展 わが永遠の魂』(ミュシャ展編)


 『国立新美術館の広大な展示室がこれほど生かせれたことがあったか。アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)の展覧会で全20点の壮大な「スラブ叙事詩」を目していて、そう感じた』
                                                   東大教授、三浦篤(5/16 朝日新聞(夕刊)

 それもそのはず、 一つの作品の大きさが、610cm×810㎝! (縦6メートル10センチ、横8メートル10センチ)それが20点ですから、今回の「ミュシャ展」を観た時の迫力といったら、まるで、自分が絵の中に入り込んだような臨場感でした。
 そして、ミュシャ展と同時に、新国立美術館で催されていたのが、『草間彌生 わが永遠の魂』でした。

『同じ(国立新美術館)では、草間彌生展(22日まで)も同時に見られたが、まさしく前衛アート展とミュシャ展の併存こそが、イメージへの欲望が開放された現代を象徴しているように思えた』
                                                   東大教授、三浦篤(5/16 朝日新聞(夕刊)

 この2つの展覧会が同時に国立新美術館で催されているのを知った時は、私もかなり贅沢だと思いました。また、ミュシャ展の半券を窓口で見せると、草間彌生展のチケットが100円引きになる特典があったことも有難かったです。

 というわけで、国立新美術館で4/28(金)にミュシャ展を、5/2(火)に草間彌生展を観に行ってきました。

 ここでは、まずは、最終的に66万1906人の入場者を集めて閉幕したミュシャ展を紹介したいと思います。


 ミュシャ展、《スラヴ叙事詩》
           ミュシャ展


 アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha, 1860年7月24日 - 1939年7月14日)は、アール・ヌーボーを代表する旗手として名高い画家で、代表作には舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した「ジスモンダ」のポスターや「椿姫」「黄道十二宮」「四季」「四つの花」等など多数の魅力的な作品を残しています。


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                           「ジスモンダ」

         四つの花「カーネーション」、「ユリ」、「バラ」、「アイリス」
                     四つの花「カーネーション」、「ユリ」、「バラ」、「アイリス」



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                「メディア」                    「ジスモンダ」
           

                 ヒヤシンス姫
                            ヒヤシンス姫

  ヒヤシンス姫は、 鍛冶屋の娘のハニチカが夢の中でヒヤシンス姫となって貴族や錬金術師など3人の求婚者たちとおりなす恋あり冒険ありのおとぎ話。可愛い!



 今回の「スラブ叙事詩」はミュシャと言えば”これ!”と思い浮かべるお洒落なポスターとは、一転、違って作風が重厚になり、サイズも最大でおよそ6m×8m。基本はテンペラ画、一部油彩である全20作から成り、題材は、チェコおよびスラヴ民族の伝承および歴史 ― 太古の時代から1918年のチェコ独立までを描いています。そして、今回、新国立美術館での展覧会においての「スラブ叙事詩」全作品の展示は、チェコ国外においては初めてのこととだそうです。ありがとう、新国立美術館!

 「スラブ叙事詩」の展覧会場に入ったとたんに、その作品の大きさに圧倒されてしまいます。

ミュシャ展
      絵の上の部分を観るために双眼鏡を持ってきている人もいました。
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 そして、その中でも一番最初に目に飛び込んでくる作品は、チケットのデザインにも採用されてる『原故郷のスラヴ民族』です。

ミュシャ

 『原故郷のスラヴ民族』
 1912年、610 x 810 cm 油彩/テンペラ画
 3~6世紀、異民族の襲撃におびえるスラヴ人。後方には襲撃によって燃え盛る炎と、家畜そして人間を略奪する異民族が描かれる。前方右 手にはキリスト教以前の司祭、前方左手には異民族から隠れるスラヴ人の男女が描かれ、スラヴ人の独立と平和への願いが描かれている。


   ミュシャ
       司祭の後ろから顔を出す男女は、防衛と平和の擬人像

                                カット
                               異民族から隠れるスラヴ人の男女
                               彼らの目の表情から怯えが伝わってくる。


 次に、上記の他、今回の展覧会で観た「スラブ叙事詩」の中でも、特に印象に残った作品を紹介しておきます。


      『スラヴ式典礼の導入』1912年 610×810cm テンペラ、油彩
      大ボヘミアにおけるスラヴ的典礼の導入 — 母国語で神をたたえよ

   9世紀、ヴェレフラード城の中庭で、王にスラヴ語の使用を認可する教皇勅書が読み上げられる場面。
  キリスト教国となったモラヴィア王国では国王ラスチスラフがラテン語からスラヴ語(古代教会スラヴ語)による典礼を導入した。
  手前の青年が掲げる輪は、スラヴ人の団結を表わしてる。
       

 『東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン』 1923年 405×480cm テンペラ、油彩
東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン

 季節は春、イースター(復活節)の日に東ローマ帝国皇帝に戴冠したステファン ドゥシャン (ウロシュ4世) が民衆の祝福を受けて行列に出かけるところ。
 1346年、ドゥシャンが皇帝となったことによってカレル4世の神聖ローマ帝国とともに東ローマ・西ローマ(神聖ローマ)両帝国にスラヴ人の皇帝が君臨し、イングランド王国とフランス王国以外の全ヨーロッパがともに名君のスラヴ人皇帝のもとにあった。スラヴの人たちにとってこの時代はスラヴの春、栄光の時代として今も記憶されている。
 
 画面中央にお付きに囲まれるドゥシャン、先頭には民族衣装の少女が描かれている。彼女たちが持つオリーブの枝は平和を表わし、希望と明るい未来の象徴として描かれている。

                 ミュシャ展5
                              可愛い!


 けれども、いい時代は永遠には続きませんでした。

 「 ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー」 1918年 テンペラ/油彩 405×610cm
ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー                  

 ペトル・ヘルチツキーは宗教改革に影響を与えた思想家の一人であったが、戦争や軍事的行為には反対する平和主義者であり、フス派とは一線を画していた。この作品に描かれているのは、フス派によって襲撃されたヴォドニャヌイの町と、家を焼かれた住民たち、そして犠牲となった人々である。何の罪もない人々が犠牲となったというフス戦争の暗い一面を描いている。画面中央で聖書を抱えた姿で描かれたヘルチツキーは、戦争の犠牲者たちを慰め、また心を復讐に向かわせないよう諭している。 
 

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    横たわる人々からは流血の描写はなく、傷ついた様子も描かれてはいないが、おそらく遺体であろう。
    作品の中の人物たちは、この画面中央に描かれている母親以外は誰も目線を正面に向けていない。
    その分、母親の慄(おのの)く瞳と目線が合った時、私たちは、戦争の悲惨さを知らずにはいられないのだ。
    母親が抱く赤子は息をしているのだろうか…。


    そういえば、この絵の前に立った時、突然、絵の中から人々の悲観する声がざわざわと聞こえてきたような気がしました。
    誰かの音声ガイドの音が漏れてたのかしら? 今でも不思議な気分です。


     『聖山アトス — オーソドクス教会のヴァチカン』1926年、405 x 480 cm 油彩/テンペラ画
     Mucha,_Alfons_-_Der_Heilige_Berg_Athos_-_1926

アトス山は正教会の聖地であり、また南スラヴ人にとっても重要な場所であった。中央に大きく描かれた聖母マリアと 幼いイエスが描かれており、その手前には慈愛と信仰の寓意像が描かれている。左右には実在する修道院の模型を持つ天使たちが描かれる。

実際の絵は、近くで見るとここに載せた写真よりもっと緑の色が艶やかで、絵の周りの空気までも緑の光に染まっているような……とてもファンタジックな気分に浸ることができました。



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                 実際に会場の撮影許可ゾーンで撮った写真(2枚)です。




     『スラヴの菩提樹の下で誓いを立てる若者たち】 1926年、405 x 480 cm 油彩/テンペラ画
     ミュシャ1

白山の戦い以降ボヘミアはおよそ300年間ハプスブルク家の支配下に置かれた。近代に入るとヨーロッパ諸国で民族運動 が盛り上がり、チェコでもまた1890年代にオムラディーナと呼ばれる若者たちによる民族運動団体が結成された。作中では若者たちが輪になってスラヴの女神スラヴィアに誓いを立てる場面が描かれている。女神スラヴィアは占術のシンボルである菩提樹に腰かけている。
 
    手前でハープを奏でる女性のモデルは、ミュシャの娘ヤロスラヴァであり、少女の対称にあたる右手に腰かけている若い男 性はミュシャのムスコ、イージーがモデルである。この作品はいくつかの人物が油彩で仕上げられておらず未完成作とも言われている。


         ミュシャ2                Mucha_Omladina.jpg
           ミュシャの娘 ヤロスラヴァ                   ミュシャの息子 イージー        
 





             『スラヴの歴史の神格化』1926年、480 x 405 cm 油彩/テンペラ画
             スラヴ民族の賛歌

           スラヴ叙事詩の最後を飾るこの作品は、スラブ叙事詩、全20点の集大成となる作品で民族自決を求めた
           スラヴの人々の戦いの歴史が、4つの色で表現されている。

           右下の青い部分           神話的な時代。
           左下の赤い部分           中世のフス戦争とスラブ民族の勢力拡大。
           上の赤い部分の下の黒い人影     他国の支配を受けた抑圧の時代。
           中央の黄色に彩られた人々      1918年のチェコスロバキアの独立により達成された
                                                          自由・平和・友愛の勝利


画面上部のたくましい青年は、チェコスロバキアの他、第一次世界大戦に独立を遂げた民族国家を象徴し、大きく広げた両手に自由と調和を意味する花輪を持っている。



 「スラヴ叙事詩」が完成した時、チェコスロヴァキア共和国は独立して10年が経っていました。「スラヴ叙事詩」に込められたメッセージや歴史画としての手法は”時代遅れ”とされ、20点の作品は、プラハから遠く離れたモラヴィアの古城に閉じ込められてしまいました。
 けれども、そのわずか20年後、チェコスロヴァキア共和国はナチスドイツに解体され、大戦後もソ連の共産党支配体制に組み込まれてふたたび独立するのはミュシャ没後50年の1989年になってからのことでした。
 今、戦争や核、テロと経済不況の不安が渦巻いている世界で、「スラヴ叙事詩」のメッセージはチェコ国民だけでなく人類に普遍のものと見なおされつつあり世界中で再評価がはじまっています。

         Alfons_Mucha_at_work_on_Slav_Epic.jpg
                          スラブ叙事詩を製作中のミュシャ



  *参考 「スラブ叙事詩」の全作品を解説してあるサイトです。
               ↓
       スラブ叙事詩全作品解説
  
  また、簡単なチェコスロバキアの年表も追記しました。今回、スラブ叙事詩を鑑賞する上で、チェコの歴史を知ることが必須だと
  ひしと感じてしまいました。私は普段は美術館で音声ガイドは使用しないのですが、今回ばかりは借りたら良かったなぁと後に  なって後悔しました。次の機会には、音声ガイドを使ってみるのもいいかもしれないと(*^_^*)

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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

     

「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!世界が認めたその画力」を見に行ってきました



 4月14(金)に、東京都渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで催された
 「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!世界が認めたその画力」を見に行ってきました。

 開催期間は、2017/2/23(木)-4/16(日)


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 私が河鍋暁斎の名を知ったきっかけは、2015年に、三菱一号館美術館、公益財団法人河鍋暁斎記念美術館で開催された展覧会のコピー

 ”狂っていたのは、俺か、時代か?”

 があまりにも、かっこ良かったからです。それに合わせて紹介されていた暁斎の絵の奇想っぷりにも心惹かれました。
 最近は、国内外問わず”奇想の作家”が大ブームです。美術館の入口に長蛇の列を作った伊藤若冲や、海外のボス、アルチンボルト、ブリューゲルなどの展覧会が目白押しです。


                  《これが私を魅了したポスターだ!》”狂っていたのは、俺か、時代か?”
                   暁斎


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                               《化け猫》
                          猫の肉球が… サイズもでかい
                              
               河鍋暁斎『三味線を弾く洋装の骸骨と、踊る妖怪』明治14-22(1881-89)年
                    《三味線を弾く洋装の骸骨と、踊る妖怪》明治14-22(1881-89)年
                    西洋風の衣装で三味線をひく奏者はどくろ。何もかもがユニークです



  残念ながら、三菱一号館美術館の展覧会は見に行くことができなかったので、今回、渋谷のBunkamuraで催された展覧会は絶対に逃すものかと会期が始まるのを今か今かと待ちわびていました。

 暁斎の大まかなプロフィールはこんな感じです。

 《河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)》

 天保2年(1831年)、下総国古河石町(現茨城県古河市中央町2丁目)にて、河鍋記右衛門ときよの次男としてに生まれる。
 父は古河の米穀商亀屋の次男の生まれで、古河藩士・河鍋喜太夫信正の養嗣子で、母は浜田藩松平家の藩士三田某の娘。

 幼い頃から絵を好み、浮世絵師歌川国芳に続いて駿河台狩野派に絵を学び、その画才を賞して「画鬼」と呼ばれた。
 師・国芳の人の様々な形態を注意深く観察すべきだという教えに従い、梅雨の長雨による出水時に神田川で拾った生首を持ちかえり写生して、周りの人々を驚愕させたという話は有名。また、火事現場で火災の様子を写生もしていたとか。

 暁斎は、無類の酒好きとしても知られるが、生涯を通じて知り得る限りの浮世絵や西洋画の画法を研究し、仏画や山水画、戯画や風刺画まであらゆる主題に精通した。聖と俗、貴と賤をない交ぜにした暁斎の作品は、江戸から明治への転換期の混沌とした様相を鮮やかに描き出している。
 明治14年に、後に暁斎の作品の収集家として名を馳せる建築家ジョサイア・コンドルが弟子として入門する。 コンドルは暁斎からイギリスの暁斎を意味する「暁英」の号を与えられるほど親しかった。
 晩年は、根岸(現・荒川区東日暮里)に住み、区内の寺院や料亭に数点作品が残っており、郷土の画家としても大いに評価すべき人物である。
 明治22年(1889年)、胃癌のため逝去。
 暁斎は死の3日前、絵筆を取りたい欲求に抗し難く、枕後ろの障子にやせ衰えた自分の姿と、もうすぐ自分が入るであろう角型の桶を描いたという。
 墓所は谷中にある瑞輪寺塔中正行院、墓石は遺言により、自然石を重ねており、一番上の石は蛙をかたどったもので、蛙を殊のほか愛した暁斎らしい墓石といえる。

 実はこの谷中、瑞輪寺がたまたま、私の職場に近かったせいもあり、お昼休みに暁斎の墓所を見に行くことができました。
 少し奥まった位置にあったので、探すのに苦労しましたが、あの風変わりで超絶な技法の絵を描いた画家が、ここに眠っていると思うと、とても感慨深いものがありました。

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           瑞輪寺の門           ちゃんと暁斎の墓と書かれています。
                        墓標には、次男の暁雲や長女の暁翠の名前等も刻まれていました
                               蛙に似せた墓石が人目を引きます。

 
 今回の暁斎の展覧会は、画商、イスラエル・ゴールドマンのコレクションからの出品でした。


   序章「出会い」

   世界有数の暁斎コレクションを持つイスラエル・ゴールドマン氏が、暁斎のコレクターになるきっかけとなった作品
   象の長い鼻にたぬきが手を伸ばす仕草が可愛いです。ちょっと、たぬきの絵が鼠っぽくも見えますね。

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                      明治3(1870)年以前 「象とたぬき」


                    《鯰の曳きものを引く猫たち》 明治4-12年
                       《鯰の曳きものを引く猫たち》 明治4-12年



  第1章「万国飛」


  暁斎は、安政5年(1858)頃には皮肉や風刺、滑稽味を持つ狂画を描きはじめ、「狂斎」と名乗っていました。しかし、明治3年、不忍池の料亭で新政府の役人を風刺する滑稽画を描き、逮捕されてしまいます。鞭打ちにあったりして、暁斎はこの恥辱を深く後悔し、筆名を「狂斎」から「暁斎」と変えます。
  しかし、4年後の第2回内国勧業博覧会で、「枯木寒鴉図」など4点を出品、それが賞を取ると、鴉は暁斎を一挙に海外に知らしめた作品となり、暁斎は海外に飛んでいく鴉を思い、鴉と万国飛の文字を組み合わせた印を作りました。

       河鍋暁斎《二羽の泊鴉に山水図》明治16年             烏瓜に二羽の鴉
        《二羽の泊鴉に山水図》明治16年              《烏瓜に二羽の鴉》明治4~22年

  第2章「躍動するいのち」

  暁斎は鴉をはじめ、鷺、虎、象、狐から鼠や猫、また蛙や昆虫などの動物を自由自在に描きました。その多くは実物の写生に基づいています。
 暁斎は動物たちを擬人化、絵の中の動物たちはまるで人間のように踊り、歌い、自由な彼らの動きは、手足がありえない方向に曲がっていたりしても、少しも不自然さを感じさせません。


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                           《蛙の踊り》
                           狂喜乱舞(^^)



    《動物の曲芸》 明治4-22(1871-89)年
                   《動物の曲芸》 明治4-22(1871-89)年    


                             
                             蛙の放下師(ほうげし)
                          《蛙の放下師(ほうかし)明治4–22(1871–89)年
                                愛嬌と躍動感がたっぷり


                            河鍋暁斎「猫と鯰」 1871-89年
                                《猫と鯰》1871-89年


  第3章「幕末明治」

 江戸から明治に時代が変わり、人々は、大きな価値観の変化を受け入れざるを得ませんでした。しかし暁斎はいかに周囲が変わっても変わりのない人間の本質を描きました。
 
 版画の世界では描写がもっと過激になり、師の歌川国芳を凌駕するほどのダイナミックさで描かれています。


          開化放屁合戦絵巻
                            《開化暁斎絵巻》
                           
              暁斎の他にも放屁合戦を描いた絵巻は江戸時代には多数あり、世界を驚かせたそうです

 興味があったので調べてみると、暁斎以外の作品なのですが、こんなサイトがありました。確かにすごい(笑)でも、あけっぴろげというか、とてもユーモラスで独創的! おもしろいです。とばっちりを受ける猫の絵は、気の毒というか…(´∀`)


 「屁合戦絵巻」弘化3年(1846年)に写本された「福山画師 六十九翁 相覧」早稲田大学図書館所蔵
 この詳しい画像はこちらのサイトで見ることができます。とても面白いです。
                 ↓

 【昔の人はすごかった……互いを屁でぶっ飛ばすバトルを描いた江戸時代の奇想天外な絵巻物「屁合戦絵巻】


  屁合戦絵巻の絵の一部です。
  「屁合戦絵巻」馬上からの攻撃
                 馬上からの攻撃


                   「屁合戦絵巻」弘化3年(1846年)に写本された「福山画師 六十九翁 相覧」
                                 とばっちりを受ける猫




  第4章「戯れる」

 暁斎にとって、七福神は特別な意味を持っています。これに鍾馗や風神雷神、山姥などを含めても良いかもしれません。
 本来の役割を演じている場面もありますが、多くの場合、七福神は宴会をしていたり、自分たちの家来である鼠や鯛などと打ち興じていたりします。鍾馗(しょうき)もまた退治すべき鬼と戯れたり、あるいは鬼を使って曲芸を演じたり、危険な崖へ薬草を取りに行かせたりしています。
 
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                           《鍾馗と鬼》 明治15(1882)年

                             『鬼を蹴り上げる鍾馗』明治4-22(1871-89)
                           《鬼を蹴り上げる鍾馗》明治4-22(1871-89)
                               蹴りあげる動きがいいですね!




  第5章「百鬼繚乱」


 暁斎は写生を最も重視していましたが、後妻の阿登勢が亡くなったとき、暁斎は彼女を抱き起してその顔や姿を写生したといい、「幽霊図」はその写生を元に描かれたと伝えられています。
 また暁斎はさまざまな流派の研究に対しても、当時の絵師としては珍しいほど熱心でした。暁斎は先達の作品を参考にしながら、そこに原作者の筆意を感じ取り、場合によっては自らの写生も加味して、さまざまな異界の図像を作り出しました。

《百鬼夜行図屏風》1
                            《百鬼夜行図屏風》

《百鬼夜行図屏風》2
                            《百鬼夜行図屏風》  



                 地獄太夫と一休 明治4-22年
                        《地獄太夫と一休》明治4-22年  

  上の作品の部分拡大図です。どくろの三味線弾きがいたり、地獄太夫の着物の柄に七福神っぽいのがいたりと、自由自在の表現をしています

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         左側にはどくろの三味線弾き

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               福禄寿か布袋様?

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                右下にはまた、どくろが。踊ってますねぇ♪


  第6章「祈る」「笑う」

 
 最後の展示には、観音図や達磨図の他に春画も。
 ここでは、暁斎のレパートリーの広さに改めて驚かされてしまいます。
 
 春画は笑い絵とも言われますが、性行為をする男女の横に猫がいたりと、暁斎の場合は文字通り笑いに溢れています。

 展覧会の会場では、春画のコーナーは入口が他のコーナーと分けられていて、その旨の注意書きがあったりしましたが、卑猥さはまるでなくて、来館者たちも気楽に鑑賞している感じがしました。以前、日本での春画の公開はスポンサーが嫌がるので難しいという話を聞いていたので、時代も変わったのだなぁとしみじみ。


  《龍頭観音》明治19(1886)年     「祈る女と鴉」
     《龍頭観音》明治19(1886)年                  《祈る女と鴉》



                         「義経と弁慶」明治4~22年
                             春画 《義経と弁慶》明治4~22年
                             今で言うBLってやつか(・∀・)


 暁斎の描く動物たちは、ユーモラスで可愛く、まるで人間社会を模しているように動き回っているし、女性は幽霊やら太夫も嫋(たおや)かで美しい。骸骨が大好きで春画も描いたりはしているけれど、社会を風刺したり、皮肉ったりはしていない。これだけの超絶技巧と面白い感覚持った画家って珍しいのではないでしょうか。


   『鳥獣戯画 鼠曳く瓜に乗る猫』 明治12(1879)年ごろ
              《鳥獣戯画 鼠曳く瓜に乗る猫》明治12(1879)年ごろ


                                  「地獄太夫かいこつの遊戯をゆめに見る図」
     《地獄太夫かいこつの遊戯をゆめに見る図》

          「花を活ける骸骨」
                  《花を活ける骸骨》
                     可愛い!


 最後に、今回の展覧会の開催にあたって、ゴールドマン氏から寄せられたのメッセージがHPに記載されていましたので、複写させていただきました。

   「なぜ、あなたは暁斎を集めているのですか?」 2002年、東京の太田記念美術館で私のコレクションによる最初の暁斎展について議論しているとき、初めて出会った有名な北斎研究家の永田生慈氏が、私にこういう質問をしました。これまで、だれ一人、このような直接的な質問をした人はいませんでした。ためらいなく、私は本能的にこう答えました、「なぜなら暁斎は面白いからです」

   私は暁斎を、その技術的な素晴らしさと人を魅了する力、感傷的でない動物の描写などで崇拝していましたが、何よりも彼の異様なほどのウィットとユーモアこそが、ほかの画家たちと彼との間に一線を画すことに気が付きました。
 私は、ロンドンのオークションで誰もが見落としていた彼の傑作、豪勢にも僅か55ポンドで落札して以来、暁斎の作品をおよそ35年以上にわたって収集しています。同じころ、私は一匹の象が遊んでいる小さい作品も入手しました。翌日、私はその小品を著名なコレクターに売却してしまったのです。しかし翌朝早くに目を覚まして、何か極めて価値あるものを失ってしまったことを嘆きました。数年間にわたって懇願した末に、それを買い戻すことに成功しました。(暁斎が私を発見したのであって、逆ではないと信じることは、コレクターの虚栄であります。)

   暁斎は収集するに値する素晴らしい芸術家であります。彼の作品は、スタイルにおいて、主題において、また技術において、ずば抜けた広がりを持っています。そして私は彼の代表的な作品を網羅するために、あらゆる努力をしました。今回の展覧会に展示されている作品の多くは、暁斎を愛する人々には良く知られているものですが、およそ80点は完全に新しい発見です。私はこのように暁斎に関する個人的な視点を表明する機会を与えられて、極めて有り難く思っています。 



 今回、参考にさせていただきましたBunkamuraでの展覧会の詳細は下記のサイトでご覧になれます。
     ↓
  【ゴールドマンコレクション これぞ暁斎!】


 

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Author:kazanasi
絵画、小説を中心に観たり読んだり、自作で作ったり。サブカル全般に興味があります。暖かい時期には山登りもします。アナログとデジタルの間を行ったり来たりしてる人間です。


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