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国立新美術館 『ミュシャ展』と『草間彌生展 わが永遠の魂』(ミュシャ展編)


 『国立新美術館の広大な展示室がこれほど生かせれたことがあったか。アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)の展覧会で全20点の壮大な「スラブ叙事詩」を目していて、そう感じた』
                                                   東大教授、三浦篤(5/16 朝日新聞(夕刊)

 それもそのはず、 一つの作品の大きさが、610cm×810㎝! (縦6メートル10センチ、横8メートル10センチ)それが20点ですから、今回の「ミュシャ展」を観た時の迫力といったら、まるで、自分が絵の中に入り込んだような臨場感でした。
 そして、ミュシャ展と同時に、新国立美術館で催されていたのが、『草間彌生 わが永遠の魂』でした。

『同じ(国立新美術館)では、草間彌生展(22日まで)も同時に見られたが、まさしく前衛アート展とミュシャ展の併存こそが、イメージへの欲望が開放された現代を象徴しているように思えた』
                                                   東大教授、三浦篤(5/16 朝日新聞(夕刊)

 この2つの展覧会が同時に国立新美術館で催されているのを知った時は、私もかなり贅沢だと思いました。また、ミュシャ展の半券を窓口で見せると、草間彌生展のチケットが100円引きになる特典があったことも有難かったです。

 というわけで、国立新美術館で4/28(金)にミュシャ展を、5/2(火)に草間彌生展を観に行ってきました。

 ここでは、まずは、最終的に66万1906人の入場者を集めて閉幕したミュシャ展を紹介したいと思います。


 ミュシャ展、《スラヴ叙事詩》
           ミュシャ展


 アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha, 1860年7月24日 - 1939年7月14日)は、アール・ヌーボーを代表する旗手として名高い画家で、代表作には舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した「ジスモンダ」のポスターや「椿姫」「黄道十二宮」「四季」「四つの花」等など多数の魅力的な作品を残しています。


                            mucha_zodiac01.jpg
                                    「ジスモンダ」

         四つの花「カーネーション」、「ユリ」、「バラ」、「アイリス」
                         四つの花「カーネーション」、「ユリ」、「バラ」、「アイリス」



          mucha_medee01.jpg             220px-Alfons_Mucha_-_1894_-_Gismonda.jpg
                  「メディア」                              「ジスモンダ」
           

                 ヒヤシンス姫
                                  ヒヤシンス姫

  ヒヤシンス姫は、 鍛冶屋の娘のハニチカが夢の中でヒヤシンス姫となって貴族や錬金術師など3人の求婚者たちとおりなす恋あり冒険ありのおとぎ話。可愛い!



 今回の「スラブ叙事詩」はミュシャと言えば”これ!”と思い浮かべるお洒落なポスターとは、一転、違って作風が重厚になり、サイズも最大でおよそ6m×8m。基本はテンペラ画、一部油彩である全20作から成り、題材は、チェコおよびスラヴ民族の伝承および歴史 ― 太古の時代から1918年のチェコ独立までを描いています。そして、今回、新国立美術館での展覧会においての「スラブ叙事詩」全作品の展示は、チェコ国外においては初めてのこととだそうです。ありがとう、新国立美術館!

 「スラブ叙事詩」の展覧会場に入ったとたんに、その作品の大きさに圧倒されてしまいます。

ミュシャ展
      絵の上の部分を観るために双眼鏡を持ってきている人もいました。
          170428_173310.jpg




 そして、その中でも一番最初に目に飛び込んでくる作品は、チケットのデザインにも採用されてる『原故郷のスラヴ民族』です。

ミュシャ

 『原故郷のスラヴ民族』
 1912年、610 x 810 cm 油彩/テンペラ画
 3~6世紀、異民族の襲撃におびえるスラヴ人。後方には襲撃によって燃え盛る炎と、家畜そして人間を略奪する異民族が描かれる。前方右 手にはキリスト教以前の司祭、前方左手には異民族から隠れるスラヴ人の男女が描かれ、スラヴ人の独立と平和への願いが描かれている。


   ミュシャ
       司祭の後ろから顔を出す男女は、防衛と平和の擬人像

                                カット
                               異民族から隠れるスラヴ人の男女
                               彼らの目の表情から怯えが伝わってくる。


 次に、上記の他、今回の展覧会で観た「スラブ叙事詩」の中でも、特に印象に残った作品を紹介しておきます。


      『スラヴ式典礼の導入』1912年 610×810cm テンペラ、油彩
      大ボヘミアにおけるスラヴ的典礼の導入 — 母国語で神をたたえよ

       9世紀、ヴェレフラード城の中庭で、王にスラヴ語の使用を認可する教皇勅書が読み上げられる場面。
       キリスト教国となったモラヴィア王国では国王ラスチスラフがラテン語からスラヴ語(古代教会スラヴ語)による典礼を        導入した。
       手前の青年が掲げる輪は、スラヴ人の団結を表わしてる。


 『東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン』 1923年 405×480cm テンペラ、油彩
東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン

 季節は春、イースター(復活節)の日に東ローマ帝国皇帝に戴冠したステファン ドゥシャン (ウロシュ4世) が民衆の祝福を受けて行列に出かけるところ。
 1346年、ドゥシャンが皇帝となったことによってカレル4世の神聖ローマ帝国とともに東ローマ・西ローマ(神聖ローマ)両帝国にスラヴ人の皇帝が君臨し、イングランド王国とフランス王国以外の全ヨーロッパがともに名君のスラヴ人皇帝のもとにあった。スラヴの人たちにとってこの時代はスラヴの春、栄光の時代として今も記憶されている。
 
 画面中央にお付きに囲まれるドゥシャン、先頭には民族衣装の少女が描かれている。彼女たちが持つオリーブの枝は平和を表わし、希望と明るい未来の象徴として描かれている。

                 ミュシャ展5
                                    可愛い!


 けれども、いい時代は永遠には続きませんでした。

 「 ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー」 1918年 テンペラ/油彩 405×610cm
ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー                  

 ペトル・ヘルチツキーは宗教改革に影響を与えた思想家の一人であったが、戦争や軍事的行為には反対する平和主義者であり、フス派とは一線を画していた。この作品に描かれているのは、フス派によって襲撃されたヴォドニャヌイの町と、家を焼かれた住民たち、そして犠牲となった人々である。何の罪もない人々が犠牲となったというフス戦争の暗い一面を描いている。画面中央で聖書を抱えた姿で描かれたヘルチツキーは、戦争の犠牲者たちを慰め、また心を復讐に向かわせないよう諭している。 
 

                             201406071252535.jpg

    
    横たわる人々からは流血の描写はなく、傷ついた様子も描かれてはいないが、おそらく遺体であろう。
    作品の中の人物たちは、この画面中央に描かれている母親以外は誰も目線を正面に向けていない。
    その分、母親の慄(おのの)く瞳と目線が合った時、私たちは、戦争の悲惨さを知らずにはいられないのだ。
    母親が抱く赤子は息をしているのだろうか…。


    そういえば、この絵の前に立った時、突然、絵の中から人々の悲観する声がざわざわと聞こえてきたような気がしました。
    誰かの音声ガイドの音が漏れてたのかしら? 今でも不思議な気分です。


     『聖山アトス — オーソドクス教会のヴァチカン』1926年、405 x 480 cm 油彩/テンペラ画
     Mucha,_Alfons_-_Der_Heilige_Berg_Athos_-_1926

       アトス山は正教会の聖地であり、また南スラヴ人にとっても重要な場所であった。中央に大きく描かれた聖母マリアと       幼いイエスが描かれており、その手前には慈愛と信仰の寓意像が描かれている。左右には実在する修道院の模型を       持つ天使たちが描かれる。

     実際の絵は、近くで見るとここに載せた写真よりもっと緑の色が艶やかで、絵の周りの空気までも緑の光に染まってい     るような……とてもファンタジックな気分に浸ることができました。



        170428_173210.jpg        170428_173616.jpg
                       実際に会場の撮影許可ゾーンで撮った写真(2枚)です。




     『スラヴの菩提樹の下で誓いを立てる若者たち】 1926年、405 x 480 cm 油彩/テンペラ画
     ミュシャ1

白山の戦い以降ボヘミアはおよそ300年間ハプスブルク家の支配下に置かれた。近代に入るとヨーロッパ諸国で民族運動 が盛り上がり、チェコでもまた1890年代にオムラディーナと呼ばれる若者たちによる民族運動団体が結成された。作中では若者たちが輪になってスラヴの女神スラヴィアに誓いを立てる場面が描かれている。女神スラヴィアは占術のシンボルである菩提樹に腰かけている。
 
    手前でハープを奏でる女性のモデルは、ミュシャの娘ヤロスラヴァであり、少女の対称にあたる右手に腰かけている若い男    性はミュシャのムスコ、イージーがモデルである。この作品はいくつかの人物が油彩で仕上げられておらず未完成作とも
    言われている。


         ミュシャ2                Mucha_Omladina.jpg
             ミュシャの娘 ヤロスラヴァ                   ミュシャの息子 イージー        
 





             『スラヴの歴史の神格化』1926年、480 x 405 cm 油彩/テンペラ画
             スラヴ民族の賛歌

           スラヴ叙事詩の最後を飾るこの作品は、スラブ叙事詩、全20点の集大成となる作品で民族自決を求めた
           スラヴの人々の戦いの歴史が、4つの色で表現されている。

           右下の青い部分           神話的な時代。
           左下の赤い部分           中世のフス戦争とスラブ民族の勢力拡大。
           上の赤い部分の下の黒い人影   他国の支配を受けた抑圧の時代。
           中央の黄色に彩られた人々    1918年のチェコスロバキアの独立により達成された自由・平和・友愛の勝利


           画面上部のたくましい青年は、チェコスロバキアの他、第一次世界大戦に独立を遂げた民族国家を象徴し、
           大きく広げた両手に自由と調和を意味する花輪を持っている。



 「スラヴ叙事詩」が完成した時、チェコスロヴァキア共和国は独立して10年が経っていました。「スラヴ叙事詩」に込められたメッセージや歴史画としての手法は”時代遅れ”とされ、20点の作品は、プラハから遠く離れたモラヴィアの古城に閉じ込められてしまいました。
 けれども、そのわずか20年後、チェコスロヴァキア共和国はナチスドイツに解体され、大戦後もソ連の共産党支配体制に組み込まれてふたたび独立するのはミュシャ没後50年の1989年になってからのことでした。
 今、戦争や核、テロと経済不況の不安が渦巻いている世界で、「スラヴ叙事詩」のメッセージはチェコ国民だけでなく人類に普遍のものと見なおされつつあり世界中で再評価がはじまっています。

         Alfons_Mucha_at_work_on_Slav_Epic.jpg
                          スラブ叙事詩を製作中のミュシャ



  *参考 「スラブ叙事詩」の全作品を解説してあるサイトです。
               ↓
       スラブ叙事詩全作品解説
  
  また、簡単なチェコスロバキアの年表も追記しました。今回、スラブ叙事詩を鑑賞する上で、チェコの歴史を知ることが必須だと
  ひしと感じてしまいました。私は普段は美術館で音声ガイドは使用しないのですが、今回ばかりは借りたら良かったなぁと後に  なって後悔しました。次の機会には、音声ガイドを使ってみるのもいいかもしれないと(*^_^*)

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DEVID BOWIE is ~ デヴィッド・ボウイ回顧展に行ってきました


 4/9(日) に東京都品川区にある寺田倉庫G1 ビル(天王洲)で催されていた

  ”DEVID BOWIE is ~ デヴィッド・ボウイ回顧展”

  に行ってきました。


          170409_094540.jpg    

                                 
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 開催期間は、2017年1月8日(日)~4月9日(日)で、行ったのが最終日だったので、激混みかと思っていたのですが、時間指定制だったこともあり、意外とゆったりと観ることができました。

  『DAVID BOWIE is』
 このライブ会場に行ったような感覚の展覧会は、2013年に英国の ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催されて以来、世界9都市を巡回。 約160万人を動員し、日本はアジアでは唯一の開催地だそうです。そして、東京では3ヶ月で、12万人を動員しました。ちょうど、開催期間中の1月10日はボウイが亡くなってから1周忌ということで、会場には献花台が設けられたそうです。


 展示の内容は5項目に分かれていて、こんな感じでした。

 1.STARMAN

 1972年7月6日に、BBCの大人気音楽番組 に出演したボウイが披露した“スターマン”のパフォーマンスは、ジギー・スターダストという名キャラクターの誕生を知らせ、まだまだ保守的だった英国社会に大きな衝撃を与えた。 70年代のポップ・ ミュージックの流れを変えたとされている歴史的パフォーマンスを紹介。

   exhibition01-2.jpg

 「僕は誰かに電話をせずにいられなくて君を選んだ」 と歌いながら、 ボウイがこちらを指差す瞬間、 テレビを見ていた若者たちが覚えた興奮を、 再確認できるはず。


 2.FASHION

 想像上のキャラクターになり切るために、 服、 メイクアップ、 ヘアスタイル、 ファッションの力を最大限に利用したボウイ。 彼は、 1970年代初めの 『ジギー・スターダスト』 時代 の山本寛斎、 1990年代後半の 『アースリング』 時代のアレキサンダー・マックイーンを筆頭に、世界中のトップ・デザイナーたちとコラボレーションを行なったり、バレエや演劇など 舞台芸術のスペシャリストたちの手を借りたりしながら、 時に奇想天外で、 時に性差を超えた、 インパクトあふれるスタイルを作り出してきた。

 ボウイ展には、そんな彼が着用した、衣装の数々が集結。 着ても動けそうにない衣装もw

          ジギースターダスト2      ジギースターダスト      
              山本寛斎デザインの衣装                  Ziggy Stardust


          exhibition02-3.jpg


 
 3.JAPAN

 日本文化からインスピレーションを得て、西洋と東洋を交錯させた親日家ボウイの、日本との関わりを解き明かす。

 例えば、 歌舞伎にすっかり魅せられたボウイは、 ライヴ・パフォーマンスに歌舞伎の化粧法や早変わりのテクニックを取り入れたり、 日本人のクリエイターたちとも、 積極的にコラボレーションを敢行。 『ヒーローズ』 のジャケット写真を撮影するなど、 40年以上にわたってボウイを撮り続けた 鋤田正義の写真、 山本寛斎が1970年代にデザインした、 今見ても斬新きわまりない衣装は、 彼のキャリアで重要な役割を担った。 ふたりの作品のほかにも、 1977年発表の楽曲“モ ス・ガーデン”のレコーディングに使われたミニ琴や、ボウイ自ら描いた三島由紀夫の肖像画が展示されている。


                             ボウイが描いた三島由紀夫の肖像画
                         exhibition03-2-5.jpg



 こちらは今回の展示にはなかった写真ですが、親日家のデヴィッド・ボウイは1980年に京都にしばらく滞在し(九条に別荘があったという噂が…)あちらこちらの店やライブ会場などに出没していたそうです。わ~、お会いしたかった♪O(≧∇≦)O♪
 ボウイの逝去に際して、阪急電車は公式ツィッターで、1980年に彼が来日した際の写真を公開しています。昭和のレトロな列車とボウイ様のコラボが凄くお洒落ですよね!


      japan.png

      阪急電車

 ジャパン2


 4.SOUND&VISION

 どのようにして“音楽を展示”するのかという難問に対して、ボウイ展が出した答えは、 最新のテクノロジーを駆使した、 まったく新しいマルチメディア体験を用意すること。
 それらを体験するために、デヴィッド・ボウイ回顧展では、入場者ひとりひとりに専用のヘッドフォンを提供し、 各セクションの内容とシンクロさせた楽曲やインタヴュー音源を聴きながら、展示を 見て、 目と耳でボウイの世界に完全に没入できる仕組みを考えた。
 中でもクライマックスで待ち受ける 「ショウ・モーメント」 のセクションは、 ボウイ展の最大のハイライト。 四方から息つく暇もなく流れてくる映像と音楽は、その場にボウイが降臨したかのような迫力が。

 このゾーンの展示の中に、ボウイが作詞をする際にとった手法の一部を紹介していました。それは、コンピューターであらかじめ抽出した言葉をランダムに組み合わせ、その中の幾つかからインスピレーションに合った文を選んで歌詞にしてゆくというものでした。これって、私たちもやってみたら、彼のような感性豊かな歌詞が書けるかも。


             exhibition04-6.jpg


 5.SPECIAL

  日本オリジナル展示
 「DAVID BOWIE MEETS JAPAN」


  北野武・坂本龍一両氏が 『戦場のメリークリスマス』 を今、語る。

          senmeri.png

 『戦メリ』の撮影時のデビィッド・ボウイの印象をたけしさんと、音楽と俳優両方を担当した坂本龍一さんが語っていました。彼らはボウイとは言葉を交わすことは少なかったけれど、ボウイの演技は、多くを語らなくとも非常に深い理解のもとに行っていたと思うと言っていました。
 『戦メリ』のあのテーマソングの美しい旋律は、何度聞いても心に響いてきますね。

 今回、この回顧展を観て、改めてデヴィッド・ボウイって、かっこいいと思ってしまいました。ヘッドフォンをつけて観て回る展示方法も斬新だったし、映像も臨場感がたっぷりで迫力がありました。でも、一番、私の印象に残ったのは、展示の一角にあった小さなビデオ映像でした。
 それは、NHKの「新・映像の世紀」に収録されていた、1987年、西ベルリン(当時)で、ボウイが行った”ベルリンの壁コンサート”を聞こうと殺到した東ドイツの人々の映像。
 東西冷戦時代のこの年に、ボウイは壁のすぐそばの西ベルリンでコンサートを開いたのです。しかも、スピーカーを、壁の向こうの東ドイツ側に向けて。その時に歌った歌は「ヒーローズ」
 「ヒーローズ」は、ベルリンの壁の下で落ち合ったカップルをテーマにした曲。この歌を歌う前に、彼は観衆に向かって、「壁の反対側にいる私たちのすべての友人たちに願いを送ります」とドイツ語で述べ、男女が出会うその日の間だけ「ヒーローになれる」と高らかに歌い上げたのです。その映像がこちら。

       
                              david bowie berlin

 この2日後、アメリカ大統領のロナルド・レーガンがドイツ人に対し、「この壁を壊しなさい」と求め、ベルリンの壁はその2年後の1989年11月に崩壊しました。
 この歌は、2012年のロンドンオリンピック開会式でイギリス選手団の入場曲にも使われました。
 そして、ドイツ外務省は、デヴィッド・ボウイが亡くなった時、公式ツィッターを通して彼がベルリンの壁崩壊前の1987年に西ベルリン(当時)でコンサートを開き、ヒット曲「ヒーローズ」を歌ってくれたことへの感謝の意を表明したのです。

  Good-bye, David Bowie. You are now among #Heroes. Thank you for helping to bring down the #wall.
  「グッド・バイ、デヴィッド・ボウイ。あなたは今、#ヒーローズ の一員になりました。壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう」と

世界の伝説的なロックスターであるボウイは18カ月間にわたるガンとの闘病生活を経て、1月10日に死去しました。享年は69歳。
これは、彼の死の2日前に撮られた新曲用の写真です。
 最後まで素敵でスタイリッシュでかっこいい。本当のロック魂を持った方だったんですね。その姿と心、そして音楽は永遠に人々の心に生き続けると思います。



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                          最後に、これは、私のお気に入りの写真です(^-^)
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若冲展に行ってきました



  4/22(金)に上野の東京都美術館で催されている「若冲展」に行ってきました。

                 2016_jakuchu_b.jpg


 奇想の画家として、近年、頓に人気が高まって来た伊藤若冲。その生誕300年を記念して初期から晩年までの代表作約80点を集めた展覧会の開催期間が、4/22~5/24の1ケ月という短い期間なのは残念でなりませんが、私が行った初日は、入館時間が平日の午後4時を過ぎていたにも関わらず、グッズ売り場に時間待ちができる程の大変な盛況ぶりでした。

 伊藤若冲(1716-1800)は、18世紀の京都で活躍した画家です。京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生まれ、経済的には裕福だったようです。
 「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常から与えられたと推定され、これは『老子』の「大盈若沖」から採られたもので、その意味は「大いに充実しているものは、空っぽのようにみえる」ということだそうです。
 その名の通り、若冲という人物は絵を描くこと以外は、商売にも熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻もめとらず、85歳で没するまで精力的に制作を続けました。 けれども、彼の技法は未だ持って謎な部分が多いのです。
 奇想といえば、NHKの「びじゅチューン」というちょっと変わった切り口で美術を紹介する番組で、若冲の代表作と言われる「樹花鳥獣図屏風」が紹介されていました。実は、私、この番組が大好きなんですが。

びじゅチューン「樹花鳥獣図屏風事件」

     

 若冲もびっくりの、びじゅチューン(笑)
 実際の「樹花鳥獣図屏風」の絵は下のような絵です。8万6千個のピースに描かれた絵はタイル画か、はたまたドット画のようで、若冲が生きていた江戸時代には到底見ることができなかったであろう、象や虎や麒麟まで描かれていて、何とも不思議なタッチの作品です。
 けれども、この「鳥獣花木図屏風」には贋作でないにしても、若冲の手がけた作品ではないのではないかという論議も交わされているそうです。(詳しくは下のwikipediaの記事参照)
 
「樹花鳥獣図屏風」の真偽について

 そう言われてみると、この絵は他の若冲の絵と比べると、デザインが平面的で、あまりにタッチが違いすぎるような気がしないでもありません。事の真偽は私のような素人には知る由もありませんが、東京都美術館では、若冲展の入口に向かうロビーにこの絵を電光掲示版のようなスクリーンに投影して来場者が見れるようにしてありました。皆さん、スマホで写真をとったりしていました。

樹花鳥獣図屏風


 前置きが長くなってしまいましたが、今回、催された展覧会は、全体を【画遊人、若冲1】【釈迦三尊像と動植綵絵】【画遊人、若冲2】【米国収集家が愛した若冲】の4つのブースに分け展示がされていました。
 取り分け、若冲が京都・相国寺に寄進した「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30幅が東京で一堂に会すのは初めてで、それを目の当たりにした感想は、まさに圧巻! 東京都美術館の展示の仕方が、若冲の絵に観覧者がぐるりと取り巻かれるような設置になっていたので効果抜群。なぜ、こんなに精密で独創的な絵が描けるの? と驚くばかりでした。

その中から印象に残った作品のいくつかを紹介したいと思います。

      「群魚図」    【芍薬群蝶図】    「老松白鳳図」
              「群魚図」               「芍薬群蝶図」                「老松白鳳図」

                         南天雄鶏図
                                   「南天雄鶏図」


 どの作品も彩色やモチーフ共に、素晴らしかったのですが、多くの観覧者が、どんな虫が描かれているのかと興味をそそられ、足を動かせずに見入ってしまうのが、この「池辺群虫図」ではないでしょうか。約60種類もの昆虫や爬虫類が様々な方向を向いて、何だか楽しそう。全体を彩った緑の色がとても美しくて、描かれている虫たちの生き生きした合唱が聞こえてきそうです。

              池辺群虫図
                                  「池辺群虫図」


   下は、上の絵を部分的に切り取った絵です。中央の絵のくるりと回った蔦の上にいるカエルが縮こまったような生物は、種類がよく分からないそうです。一体、何なんでしょうね? それにしても、若冲の絵って究極の細密画かと思えば、パターン化されたデザイン画の要素もあって、本当に謎が多いです。そこが堪らなく魅力的でもあるのですが。

   池辺2 池辺 謎 池辺4



         雪中錦鶏図         桃花小禽図
                  「雪中錦鶏図」                          「桃花小禽図」



        群鶏図    群鶏 拡大
                  「群鶏図」                       ←「群鶏図」部分拡大
 


               この「貝甲図」は、絵本になりそうな感じがします。様々な種類の貝が可愛くもあり美しくもあり。
                 貝甲図,
                                      「貝甲図」


   秋塘群雀図   薔薇小禽図   【紅葉小禽図】
           「秋塘群雀図」              「薔薇小禽図」                「紅葉小禽図」

 展示されていた「動植綵絵」30幅すべてを紹介することはできませんでしたが、これらは若冲が相国寺に寄贈したもので、今は宮内庁が管理しているそうです。しかし、これほどの絵を寄贈されておきながら、当時、相国寺が若冲に与えた返礼は菓子折り一つだったらしいです。相国寺といえば、 室町幕府第三代将軍足利義満によって創建された臨済宗相国寺派の大本山。すべての世俗を捨てて禅宗に深く帰依する宗教人でもあった若冲の信心の証だから、それはそれで、良しといったところだったんでしょうか。


   *「動植綵絵」の他にも今回の展覧会には水墨画や釈迦三尊像、襖絵など、若冲のほとんどの絵画を網羅したような展示がなされていました。本当に充実した内容だったと思います。例えば若冲の絵画に早くから目をつけた米国人の収集家、ジョー・D・プライス氏のコレクションもその一つです。

                            「紫陽花双鶏図」 
       紫陽花双鶏図 プライス         
         テープカット
         若冲展開催のテープカットをするプライス夫妻。
         余談ですが、プライス氏の自宅の浴室の壁には若冲の「「樹花鳥獣図屏風」の絵が描かれているそうです。                           

                こちらは個人蔵の絵。子犬が可愛い!
                百犬図
                                     「百犬図」


              伏見人形図           若冲_菊花図
                    「伏見人形図」                         「菊花図」
    署名に「米斗翁八十五歳画」とあることから、若冲最晩年、               水墨画です
    亡くなる年(寛政十二年)の作品。七人の布袋様の穏やかな笑顔

                      釈迦三尊像 普賢菩薩
                               「釈迦三尊像 普賢菩薩」
                              京都 相国寺に寄進された絵
                             

 
 全部の展示物からすれば、ここに紹介したものは、ほんの一部ですが、この展覧会は、超おススメです。
 若冲グッズも図録から絵ハガキ、Tシャツやファイルフォルダーなど色々とあって、楽しかったです。私は絵ハガキを何枚か買ってきました。

        お土産      おみゃげ
             こんなグッズが沢山あります。お値段は高い!(笑) 絵ハガキがお手頃価格。

 若冲展は、上野、東京都美術館で、4/22~5/24まで開催しています。
 HPはこちら
   ↓
 若冲展

     

降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男 ~弥生美術館



 1月22日(水)に、東京都文京区 千代田線根津駅から徒歩7~8分、東大 弥生門前にある弥生美術館へ行ってきました。
今回の目的は、待望していた昭和初期の挿絵画家、伊藤彦造の展覧会を見ることです。

    ”降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男” 

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 えらく大げさなタイトルがついていますが、これは決して大げさじゃない。そのくらい、この伊藤彦造という画家が描く絵(ペン画)、は、死の覚悟があり、鬼気迫り、神々しく、かつ繊細、優美でもあります。
そして、プロフィールがまた、驚きで、

 1904年(明治37年)に、剣豪伊藤一刀斉の末裔に生まれた。橋本関雪に日本画を学ぶと、大正14年に「大阪朝日新聞」掲載の番匠谷英一「黎明」の挿絵でデビューする。
 幼いころから剣術に親しみ、少年時代には修行に真剣を用いたという。また、自らの腕を切り、その血で絵を描いたこともある。
「心は画人ではなく武人」と語った異色の画家であり、主に剣劇シーンの挿絵が多いが、川端康成監修「少年少女世界の名作文学」では、ギリシャ神話、ロシア童話などの繊細な挿絵も手掛けるなど、今でもその才能に魅かれるファンは多い。
 昭和40年代まで「少年倶楽部」「キング」などで活躍したが、70代で視力の衰えのため画業を引退、平成16年(100歳)で老衰で死去。



 私が伊藤彦造の挿絵を知ったのは、「少年少女世界の名作文学」の繊細なペン画で、長年、彼の挿絵が好きでたまらなかったにも関わらず、実はそのプロフィールも剣劇画が作品の主流であることもほどんど知りませんでした。ですから、今回、弥生図書館に出品された数々の挿絵や説明を見た時には、この人って、こういう画家だったのかと、目から鱗が落ちる思いがしました。
 今回の展覧会で、私は、ますます、彦造の絵が好きになったわけですが、弥生図書館で伊藤彦造の展覧会が行われたのは、平成3年、6年、11年、15年、18年に続いて6回目だそうです。それだけ、ファンが多いのでしょうし、それも頷ける気がします。



 展示作品は、沢山ありましたが、その中からいくつかを紹介すると、

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                               曽我五郎時致 
 *曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)は、建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つである。

 曽我五郎のこの挿絵には色気がありますね。心に宿した覚悟が凛と表情に現れて……凝視していると、口元から彼の決意の言葉が聞こえてくるようです。


 また、彦造は、自分の門下生にポーズを取らた写真を下地にして、剣劇の挿絵を描くこともあったそうです。それによって、場の臨場感をさらに高めようとしたのでしょう。今回の展覧会には、それらのポーズ写真が7点展示されています。


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 下地の写真 門下生にポーズを取らせています。         昭和6年6月号の『日本少年』付録、「飛沫」    
                                       左の写真と同じポーズをとっています。
                                                         
                                                       


ジャガーの眼
 「豹の眼」 昭和3年~ 「少年倶楽部」 高垣眸 著

 *ジンギスカンの血をひく日本人・黒田杜夫(モリー)と清王朝再興を目指す秘密結社「青竜党」の娘・錦華が、悪のジャガーが率いる秘密結社“豹の眼”とのジンギスカンの隠し財宝争奪戦に挑むという話。モリーと錦華が危機に陥ると、正体不明の正義のジャガーが現れ2人を助けてくれる。



阿修羅天狗
昭和26年2月号の『冒険活劇文庫』に掲載された作品 「阿修羅天狗」野沢純 著

*幕末を舞台に、正義の覆面剣士・修羅が活躍する活劇で、下の挿絵の登場人物の一人、美少年・伊織が素敵です。
 父の仇の紫頭巾をつけ狙っているのに、いつもその紫頭巾の助けられてしまう少年伊織。そういう展開って、いつの時代でも心魅かれるものです。しかし、彦造の描く美少年は、どの作品も色っぽいなぁ。


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       少年 伊織                   アップです。美人だ。


*展覧会場には、彦造が挿絵を描いた新聞小説「修羅八荒」などの作品のコピーを同好会の方がファイルに束ねた資料を見ることもできて、思わず椅子に座りこんで見いってしまいました。昔の資料でもちゃんと残っているんですね。
 


  挿絵:伊藤彦造、行友李風「修羅八荒」(朝日新聞、1925〈大正14〉年)       t02200410_0800149111585905346.jpg
    行友李風著「修羅八荒」より(朝日新聞、大正14年)


 また、彦造は自らの腕を傷つけ、画を描いたという話は前述しましたが、満州事変の翌年、昭和7年28歳にして自らの血で「神武天皇御東征の図」を描き陸軍大臣・荒木貞夫に贈り、さらに翌年ペンで国に尽くそうと「大日本彩管報国党」を結成したそうです。
 芸術家、それもこんなに繊細なペン画を描きながら、武人って、つくづく異色のプロフィールですね。



    DSCF1549.jpg       DSCF1550.jpg
    腕を傷つけ、画を描くための血を絞り出す彦造        自らの血を混ぜて描いた「神武天皇御東征の図」        
    失血のためにふらふらになってしまったとか(驚!)




              「杜鵑一声」は昭和四年
                 昭和4年 「杜鵑一声」(とけんいっせい)              

            *昭和天皇大阪行幸の折り、天覧になった作品。杜鵑(とけん)は、ホトトギスのこと。
             少年剣士が月の光をバックに日本刀を掲げ、立志の心を誓っているといったシーンでしょうか。


               「運命の剣」少年倶楽部、s4、3月号
                       昭和4年 「運命の剣」 少年倶楽部3月号  

 *15歳で新撰組に入隊し、その若さゆえ、小姓として副長の土方歳三の世話係をこなしていた少年、市村鉄之助をモデルとした小説。鉄之助は、死を覚悟した土方の命を受け、その遺品を届けるために五稜郭を脱出し、土方の故郷・日野(東京都日野市)に向かったというエピソードの少年です。



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                  渡辺綱による羅生門での鬼退治の場面。
                  昭和24年11月号 『冒険活劇文庫』の折込口絵 「羅生門」
                  *渡辺綱による羅生門での鬼退治の場面。


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                         「角兵衛獅子」
                   大佛次郎著 「鞍馬天狗」の中の挿絵


 弥生図書館での”降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男”での作品を紹介してきましたが、ここからは、私が大好きな「少年少女世界の名作文学」の挿絵の中からピックアップして伊藤彦造の作品を載せてみました。
 「少年少女世界の名作文学」は、1965年から1967年まで、毎月発行されていた世界の名作の数々を掲載した全50巻の児童文学書で、名作といわれる世界の児童文学をほぼすべて網羅し、作品のみならず、翻訳、挿絵、装丁ともに素晴らしい本でした。
 詳しくは、私のブログの他の記事にも載せてありますし、そちらでも伊藤彦造を紹介していますので、興味のある方は、そちらも見て下さいね。
   ↓
本と挿絵
池田浩彰と少年少女名作文学の挿絵画家たち
     

 ☆「少年少女世界の名作文学」での伊藤彦造の作品

             平家物語
                          平家物語


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                   平敦盛 
 *熊谷次郎直実が、17歳の敦盛の姿に我が子を重ね、「助けまいらせんと存じ候へども、味方の軍兵-ぐんぴょうー雲霞のこどく候ふ。よものがれさせ給はじ。人手にかけまいらせんより、同じくは直実が手にかけまいらせて、後の御孝養をこそ仕候はめ」と言って、敦盛の死後の供養を約束し、泣く泣く首をとった話に、しんみりとさせられたものです。


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                   山椒大夫 安寿と厨子王           

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                                  山椒大夫


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                    主人公のジェロームとアリサ

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                             狭き門 
              ”狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし”

 新約聖書のマタイ福音書第7章第13節。すなわち困難であっても多数派に迎合せず、救いにいたる生き方の喩え。ノーベル賞作家、アンドレ・ジッドの作品です。彦造の挿絵がよく合ってますね

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             ロビンソンクルーソ

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                      ホメロス神話


 上に載せたのは、ほんの一部ですが、ファンタジー色の強い、また西洋画のようなタッチの挿絵も彦造は描けたのですね。まったく、凄い才能としか言いようがありません。


 ”降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男”展は、3/20まで、文京区 弥生美術館で開催されています。弥生美術館に併設されている竹下夢二美術館も同じチケットで見ることができます。渡り廊下でつながった二館を見るのも、面白く、この美術館は、私はけっこう気に入っています。

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 ”降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男”

  会 期: 2014年1月3日(金)~3月30日(日)

  開館時間: 午前10時~午後5時
 (入館は4時30分までにお願いします)
  休 館 日: 月曜日

  料   金: 一般900円/大・高生800円/中・小生400円
  (竹久夢二美術館もご覧いただけます)
                 

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

     

ターナー展に行ってきました



11/14(木)に上野の東京都美術館にターナー展を見に行きました。

上野公園は、紅葉も始まり風景はすっかり秋仕様で、美術鑑賞にはぴったりの季節になりました。

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   青空に紅葉が映えて綺麗でした。 奥に見えるのは国立博物館

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さて、今回のターナー展ですが、ロンドンのテート美術館から、油彩画の名品30点以上に加え、水彩画、スケッチブックなど計約110点を展示し、英国最高の画家として西洋絵画史上に燦然と輝く風景画の巨匠、ターナーの栄光の軌跡をたどる企画だそうです。私が行ったのは、平日のお昼くらいでしたが、それほど混みあっているほどではなく、丁度良いくらいの観覧者数でした。

 ターナーは1775年、ロンドンに生まれました。幼い頃から優れた水彩画に画才を発揮し、後には油彩も始めて、弱冠26歳にして、ロイヤル・アカデミー(王立芸術院)の正会員になります。
 崇高の美を追求し、また、光と色彩が溢れる幻想的な画風は、クロード・モネをはじめとする後のフランス印象派の画家たちにも大きな影響を与えたとされます。日本では、夏目漱石が愛した画家としても有名で、また、イギリス映画の007で、J・ボンドが待ち合わせに使ったのが、テートギャラリーのターナーの絵の前だったり、世界的にも愛されている画家です。

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                ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)
                               自画像


今回の展覧会は、Ⅰ「初期」~Ⅹ「晩年の作品」に年代順に分けての展示がされていましたが、その中で印象に残った絵を紹介したいと思います。

Ⅰ初期

月光、ミルバンクより眺めた習作 1797年
          月光、ミルバンクより眺めた習作 1797年

ターナーが若い日々を送ったミルバンク。穏やかなテムズ河の様子が伝わってくる作品。暗い夜の景色に浮かび上がる月光の明るさが印象的。


Ⅱ「崇高」の追求

バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」1798年
     バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」1798年

1797年にイングランド北西部を旅したターナーは、多くのスケッチを描き、移り変わる天候や光の描出に力を注いだ。

「堂々たる儚い弓が/壮大にそびえ立ち、ありとあらゆる色彩が姿をあらわす」


 これは、ターナーがこの絵にそえた、落日を迎えた山並みに突如かかる虹を歌ったジェイムズ・トムソンの詩句「春」からの数行です。
         

ターナーの肖像 1852年
                 グリゾン州の雪崩 1810年

ペインティングナイフを駆使した絵肌が、雪崩のすさまじい迫力を伝えている。
 この絵は、実際にグリゾン州で25名の犠牲者を出した雪崩の事故を元にして描かれているが、人の姿はどこにもなく、極端に強調された遠近法や、飛び散る岩石などが、自然の猛威をあらわし、ターナーがそれに「美」に劣らぬ「崇高」を見出そうとした時期の作品。

*迫力があって、会場でもこの絵はよく目立ちました。


Ⅲ 戦時下の牧歌的風景

                「絵画のための習作集、アイズルワース」スケッチブック 1805年頃
               絵画のための習作集、アイズルワース」スケッチブック 1805年頃

     *ハードカバーの本くらいのサイズの小さなスケッチブックに、この細密画です。ターナーって凄い!
       当時のパトロンに、制作前に見せるために、このようなスケッチを何枚も描いていたようです。


   チャイルド・ハロルドの巡礼ーイタリア、1832年
           チャイルド・ハロルドの巡礼ーイタリア、1832年

澄んだ青空の下で踊る人々。遠方には古代ローマ時代の廃墟。17世紀の画家、クロード・ロランの構図にならったこの横幅約2.5mもある作品の中でひときわ目をひくのは、傘のように枝を張った松だ。
 実は、この絵のことを、文豪の夏目漱石が、小説「坊ちゃん」の中で、教頭の赤シャツと画学教師の野だいこの台詞として取り上げている。彼らは、小さな島に生える松を眺めてこんな会話をしている。

「あの松を見給え。幹が真っ直ぐで、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だいこにいう…中略)…すると、野だいこが、どうです教頭、これからあの島をターナー島と名付けようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、われわれはこれからそういおうと賛成した」 

四十島
 二人の会話のモデルになったといわれている松山市の名称「四十島」。
 地元では、今も「ターナー島」の愛称で親しまれているそうです。地元有志で作った「ターナー島を守る会」もあるそうで。

 また、英文学を学び、英国留学の経験のある漱石は、評論「文学論」の中で、

 - かのTurner(ターナー)の晩年の作を見よ。彼が画(か)きし海は燦爛として絵具箱を覆したる海の如し -  

 と、ターナーに賛美を送っています。特に、ターナーと同世代に生きた英国の詩人バイロンの物語詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」をモチーフとした同タイトルの絵は、漱石の興味を引いたのでしょうね。
 
                                        (朝日新聞、11/17の記事より)




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      スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船 1808年

ターナーは、ナポレオン戦争を契機に海戦の主題に興味を抱き、いくつかの大作を手掛けている。本作は1807年に英国とデンマークが衝突し、降伏したデンマーク軍艦の護送の様子を描いている。


Ⅳ イタリア

ラファエロ
 ヴァティカンから望むローマ、ラ・ファロナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ 1820年

 幅3メートルを越える大きな作品で、ルネサンス期を代表する偉大な画家ラファエロを讃えるもの。

 ターナーがこの作品を発表したのは、折しもラファエロ没後300年にあたり、ターナーは、16世紀にラファエロと弟子たちが装飾をほどこしたサン・ピエトロ広場を見下ろす優雅な回廊に、ラファエロ本人を、その右側には「ラ・フォルナリーナ」(パン焼き娘)の名で知られる、恋人でミューズであったマルゲリータ・ルティの後ろ姿を描いた。
 ラファエロの周りに様々な美術品が並んでいるのは、絵画、素描、彫刻、建築設計の広い分野に発揮した多才ぶりを讃えるもので、また、この絵を描くことで、ターナーは自分自身も技を究めた名匠であり、ラファエロの衣鉢を継ぐ者であることを世間に示そうとした。

*絵の中央に、先に上野の国立西洋美術館の「ラファエロ展」にも展示された「聖母子」の絵もありますね
             ↓
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         ラファエロ「聖母子」



            ターナーの肖像 1852年
                         レグルス 1828年(1837年に加筆)

 古代ローマの将軍マルカス・アティリウス・レグルスは、第一次ポエニ戦争(紀元前264-241年)でカルタゴの捕虜となった将軍。
 伝説によると、レグルスは暗い地下牢に閉じ込められ、瞼を切り取られる。その後、牢獄から引きずり出され、陽光に当たり、失明する。ターナーは瞬きしないレグルスの目が眩いばかりの陽光に晒される悲惨な瞬間を絵画化して不朽のものとした。

*実際に絵の前に立って見ると、この絵の光は本当に眩しいです。絵に関するエピソードにも心打たれます。


Ⅴ 英国における新たな平和

このコーナーでは、ターナーがスポンサーの屋敷があるペットワースに招かれた時に描いたスケッチを元に制作した作品が主に展示されていました。

ペットワースは,ロンドンとスポーツマスのほぼ中間にある丘陵地帯で、当地のペットワース館を有する伯爵イーグルモント3世はターナーをはじめ、多くの芸術家のパトロンとなり、その館を自由な芸術的創造の場に供したとされています。
  ペットワース館に滞在中の1827年夏、ターナーは館の内外をブルーの紙に水彩でえがき,その数は135枚に達したそうです。

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    今はイギリスの観光名所になっているペットワースの館

         ペットワースの庭園の鹿 1827年
                   ペットワースの庭園の鹿 1827年

ペットワースハウス「オールドライブラリ」でテーブルに向かう男、1827年
     ペットワースハウス「オールドライブラリ」でテーブルに向かう男、1827年

   
 ターナーはこの館で、スポンサーからの求めに応じた絵を描くのではなく、自由なテーマで制作を行ったようです。絵からもゆったりとした感じが伝わってきました。


Ⅵ 色彩と雰囲気を巡る実験


 実験的とタイトルにもあるように、後に興る印象派の元祖のような作風。クロームイエローというターナーが好んだ黄色が沢山使われいます。当時は、カレーマニアと揶揄されたそうですが、私は、この時代のターナーの絵の雰囲気は、色合いや形が目に優しくてけっこう好きです。

      黄色い砂上の上の青い月影 1824年頃
                    黄色い砂上の上の青い月影 1824年頃


              三つの海景 1827年頃
                      三つの海景 1827年頃

  三つの別の海の景色を一枚の絵に積み重ねて描いたものだそうです。一番上と一番下は上下が逆さまです。どこが継目でそれぞれがどんな絵かは、会場へ行くと分かりますよ


Ⅶ ヨーロッパ大陸への旅行

ハイデルブルク 1844-45年頃
                         ハイデルブルク 1844-45年頃

 宗教戦争に敗れてオランダへ亡命してゆく冬王、フリードリヒ5世と妃エリザベス・スチュアートの悲劇を描いています。向かって左下に彼らの姿が見えますね。この絵も大きくて一際目立っていました。


Ⅷ ヴェネツィア


《ヴェネツィア、嘆きの橋》1840年
                  ヴェネツィア、嘆きの橋》1840年


 嘆きの橋とは、ドゥカーレ宮殿と囚人が収監される牢獄の間にかかる橋のこと。豪華な宮殿の前には牢獄の門。この対比が興味深く、少し哀しい感じがしました。


         《ヴェネツィア、月の出》1840年
                      ヴェネツィア、月の出 1840年

         ますます絵が幻想的になってきました。月の光を受けた水の色がメルヘンチックです。


「サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む」 1843年
           サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む」 1843年

  実際の地図では、サン・ベネデット教会はこの方向にはないそうですが、表現のためには”ない”ものを”ある”ように描いてしまうターナー、おそるべし!



Ⅸ 後期の海景図

海の惨事 1835年頃
                       海の惨事 1835年頃

 ロマン派のテオドール・ジェリコーの作品「メデュース号の筏」に影響を受けた絵。

メデューズ号は、1816年7月5日、今日のモーリタニア沖で座礁し、乗客のほとんどが救出までの13日間で死亡し、生き残った人も、飢餓、脱水、食人、狂気にさらされることになった。ジェリコーの作品はその様子を赤裸々に表わしている。この絵に影響を受けた画家たちも多く、ターナーもその中の一人。

     【参考】   
     メデュース号の筏 テオドール・ジェリコー
            「メデュース号の筏」 テオドール・ジェリコー 1818年


日の出 1835-40年頃
                         日の出 1835-40年頃

 1810年代から作られた「カラー・ビギニング(色彩のはじまり)」と呼ばれる習作群の中の一つ。ターナーは拭いたり、こすったり、洗ったりまでして、絵の具の新たな扱い方を見いだそうとしている。

 ターナーの手法の魔法でしょうか、絵の中から本当に光が溢れてくるようです。
      

Ⅹ 晩年の作品


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                         戦争、流刑者とカサ貝 1842年
            
    ナポレオン・ボナパルトの晩年を描いた作品。血で染まった戦場跡のように赤々と落陽する情景の中で、彼はあお貝(カサ貝)に視線を落としている。その姿は己の孤立(孤独)と栄光の終幕を観る者へ容易に連想させる。

  《平和——海上の儀式(水葬)》 1842年 
                       平和——海上の儀式(水葬) 1842年

 ターナーの友人で、異国からの旅の帰途に没した画家デイヴィット・ウィルキーの実際の葬儀をもとに描かれている。黒を多く使った船の描写は、当時のパトロンからも苦情が出て、評判は良くなかったそうだが、彼は「もっと黒を使っても使いたりない」とこの絵を描き上げたそうです。
 今では、この作品は、ターナーの晩年の代表作とされています。

 
 もし、興味がおありの人は、テート美術館のオンラインHPをご覧になって下さい。英語ですが”Joseph Mallord William Turner ”でsurch(検索)すれば、ほぼ、この美術館に展示してあるすべてのターナーの作品を見ることができます。家にいながらにして、ちょっとした芸術の旅に出かけた気分になりますよ。

テートオンライン(英語)

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Author:kazanasi
絵画、小説を中心に観たり読んだり、自作で作ったり。サブカル全般に興味があります。暖かい時期には山登りもします。アナログとデジタルの間を行ったり来たりしてる人間です。


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