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国立新美術館 『ミュシャ展』と『草間彌生展 わが永遠の魂』(ミュシャ展編)


 『国立新美術館の広大な展示室がこれほど生かせれたことがあったか。アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)の展覧会で全20点の壮大な「スラブ叙事詩」を目していて、そう感じた』
                                                   東大教授、三浦篤(5/16 朝日新聞(夕刊)

 それもそのはず、 一つの作品の大きさが、610cm×810㎝! (縦6メートル10センチ、横8メートル10センチ)それが20点ですから、今回の「ミュシャ展」を観た時の迫力といったら、まるで、自分が絵の中に入り込んだような臨場感でした。
 そして、ミュシャ展と同時に、新国立美術館で催されていたのが、『草間彌生 わが永遠の魂』でした。

『同じ(国立新美術館)では、草間彌生展(22日まで)も同時に見られたが、まさしく前衛アート展とミュシャ展の併存こそが、イメージへの欲望が開放された現代を象徴しているように思えた』
                                                   東大教授、三浦篤(5/16 朝日新聞(夕刊)

 この2つの展覧会が同時に国立新美術館で催されているのを知った時は、私もかなり贅沢だと思いました。また、ミュシャ展の半券を窓口で見せると、草間彌生展のチケットが100円引きになる特典があったことも有難かったです。

 というわけで、国立新美術館で4/28(金)にミュシャ展を、5/2(火)に草間彌生展を観に行ってきました。

 ここでは、まずは、最終的に66万1906人の入場者を集めて閉幕したミュシャ展を紹介したいと思います。


 ミュシャ展、《スラヴ叙事詩》
           ミュシャ展


 アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha, 1860年7月24日 - 1939年7月14日)は、アール・ヌーボーを代表する旗手として名高い画家で、代表作には舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した「ジスモンダ」のポスターや「椿姫」「黄道十二宮」「四季」「四つの花」等など多数の魅力的な作品を残しています。


                            mucha_zodiac01.jpg
                                    「ジスモンダ」

         四つの花「カーネーション」、「ユリ」、「バラ」、「アイリス」
                         四つの花「カーネーション」、「ユリ」、「バラ」、「アイリス」



          mucha_medee01.jpg             220px-Alfons_Mucha_-_1894_-_Gismonda.jpg
                  「メディア」                              「ジスモンダ」
           

                 ヒヤシンス姫
                                  ヒヤシンス姫

  ヒヤシンス姫は、 鍛冶屋の娘のハニチカが夢の中でヒヤシンス姫となって貴族や錬金術師など3人の求婚者たちとおりなす恋あり冒険ありのおとぎ話。可愛い!



 今回の「スラブ叙事詩」はミュシャと言えば”これ!”と思い浮かべるお洒落なポスターとは、一転、違って作風が重厚になり、サイズも最大でおよそ6m×8m。基本はテンペラ画、一部油彩である全20作から成り、題材は、チェコおよびスラヴ民族の伝承および歴史 ― 太古の時代から1918年のチェコ独立までを描いています。そして、今回、新国立美術館での展覧会においての「スラブ叙事詩」全作品の展示は、チェコ国外においては初めてのこととだそうです。ありがとう、新国立美術館!

 「スラブ叙事詩」の展覧会場に入ったとたんに、その作品の大きさに圧倒されてしまいます。

ミュシャ展
      絵の上の部分を観るために双眼鏡を持ってきている人もいました。
          170428_173310.jpg




 そして、その中でも一番最初に目に飛び込んでくる作品は、チケットのデザインにも採用されてる『原故郷のスラヴ民族』です。

ミュシャ

 『原故郷のスラヴ民族』
 1912年、610 x 810 cm 油彩/テンペラ画
 3~6世紀、異民族の襲撃におびえるスラヴ人。後方には襲撃によって燃え盛る炎と、家畜そして人間を略奪する異民族が描かれる。前方右 手にはキリスト教以前の司祭、前方左手には異民族から隠れるスラヴ人の男女が描かれ、スラヴ人の独立と平和への願いが描かれている。


   ミュシャ
       司祭の後ろから顔を出す男女は、防衛と平和の擬人像

                                カット
                               異民族から隠れるスラヴ人の男女
                               彼らの目の表情から怯えが伝わってくる。


 次に、上記の他、今回の展覧会で観た「スラブ叙事詩」の中でも、特に印象に残った作品を紹介しておきます。


      『スラヴ式典礼の導入』1912年 610×810cm テンペラ、油彩
      大ボヘミアにおけるスラヴ的典礼の導入 — 母国語で神をたたえよ

       9世紀、ヴェレフラード城の中庭で、王にスラヴ語の使用を認可する教皇勅書が読み上げられる場面。
       キリスト教国となったモラヴィア王国では国王ラスチスラフがラテン語からスラヴ語(古代教会スラヴ語)による典礼を        導入した。
       手前の青年が掲げる輪は、スラヴ人の団結を表わしてる。


 『東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン』 1923年 405×480cm テンペラ、油彩
東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン

 季節は春、イースター(復活節)の日に東ローマ帝国皇帝に戴冠したステファン ドゥシャン (ウロシュ4世) が民衆の祝福を受けて行列に出かけるところ。
 1346年、ドゥシャンが皇帝となったことによってカレル4世の神聖ローマ帝国とともに東ローマ・西ローマ(神聖ローマ)両帝国にスラヴ人の皇帝が君臨し、イングランド王国とフランス王国以外の全ヨーロッパがともに名君のスラヴ人皇帝のもとにあった。スラヴの人たちにとってこの時代はスラヴの春、栄光の時代として今も記憶されている。
 
 画面中央にお付きに囲まれるドゥシャン、先頭には民族衣装の少女が描かれている。彼女たちが持つオリーブの枝は平和を表わし、希望と明るい未来の象徴として描かれている。

                 ミュシャ展5
                                    可愛い!


 けれども、いい時代は永遠には続きませんでした。

 「 ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー」 1918年 テンペラ/油彩 405×610cm
ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー                  

 ペトル・ヘルチツキーは宗教改革に影響を与えた思想家の一人であったが、戦争や軍事的行為には反対する平和主義者であり、フス派とは一線を画していた。この作品に描かれているのは、フス派によって襲撃されたヴォドニャヌイの町と、家を焼かれた住民たち、そして犠牲となった人々である。何の罪もない人々が犠牲となったというフス戦争の暗い一面を描いている。画面中央で聖書を抱えた姿で描かれたヘルチツキーは、戦争の犠牲者たちを慰め、また心を復讐に向かわせないよう諭している。 
 

                             201406071252535.jpg

    
    横たわる人々からは流血の描写はなく、傷ついた様子も描かれてはいないが、おそらく遺体であろう。
    作品の中の人物たちは、この画面中央に描かれている母親以外は誰も目線を正面に向けていない。
    その分、母親の慄(おのの)く瞳と目線が合った時、私たちは、戦争の悲惨さを知らずにはいられないのだ。
    母親が抱く赤子は息をしているのだろうか…。


    そういえば、この絵の前に立った時、突然、絵の中から人々の悲観する声がざわざわと聞こえてきたような気がしました。
    誰かの音声ガイドの音が漏れてたのかしら? 今でも不思議な気分です。


     『聖山アトス — オーソドクス教会のヴァチカン』1926年、405 x 480 cm 油彩/テンペラ画
     Mucha,_Alfons_-_Der_Heilige_Berg_Athos_-_1926

       アトス山は正教会の聖地であり、また南スラヴ人にとっても重要な場所であった。中央に大きく描かれた聖母マリアと       幼いイエスが描かれており、その手前には慈愛と信仰の寓意像が描かれている。左右には実在する修道院の模型を       持つ天使たちが描かれる。

     実際の絵は、近くで見るとここに載せた写真よりもっと緑の色が艶やかで、絵の周りの空気までも緑の光に染まってい     るような……とてもファンタジックな気分に浸ることができました。



        170428_173210.jpg        170428_173616.jpg
                       実際に会場の撮影許可ゾーンで撮った写真(2枚)です。




     『スラヴの菩提樹の下で誓いを立てる若者たち】 1926年、405 x 480 cm 油彩/テンペラ画
     ミュシャ1

白山の戦い以降ボヘミアはおよそ300年間ハプスブルク家の支配下に置かれた。近代に入るとヨーロッパ諸国で民族運動 が盛り上がり、チェコでもまた1890年代にオムラディーナと呼ばれる若者たちによる民族運動団体が結成された。作中では若者たちが輪になってスラヴの女神スラヴィアに誓いを立てる場面が描かれている。女神スラヴィアは占術のシンボルである菩提樹に腰かけている。
 
    手前でハープを奏でる女性のモデルは、ミュシャの娘ヤロスラヴァであり、少女の対称にあたる右手に腰かけている若い男    性はミュシャのムスコ、イージーがモデルである。この作品はいくつかの人物が油彩で仕上げられておらず未完成作とも
    言われている。


         ミュシャ2                Mucha_Omladina.jpg
             ミュシャの娘 ヤロスラヴァ                   ミュシャの息子 イージー        
 





             『スラヴの歴史の神格化』1926年、480 x 405 cm 油彩/テンペラ画
             スラヴ民族の賛歌

           スラヴ叙事詩の最後を飾るこの作品は、スラブ叙事詩、全20点の集大成となる作品で民族自決を求めた
           スラヴの人々の戦いの歴史が、4つの色で表現されている。

           右下の青い部分           神話的な時代。
           左下の赤い部分           中世のフス戦争とスラブ民族の勢力拡大。
           上の赤い部分の下の黒い人影   他国の支配を受けた抑圧の時代。
           中央の黄色に彩られた人々    1918年のチェコスロバキアの独立により達成された自由・平和・友愛の勝利


           画面上部のたくましい青年は、チェコスロバキアの他、第一次世界大戦に独立を遂げた民族国家を象徴し、
           大きく広げた両手に自由と調和を意味する花輪を持っている。



 「スラヴ叙事詩」が完成した時、チェコスロヴァキア共和国は独立して10年が経っていました。「スラヴ叙事詩」に込められたメッセージや歴史画としての手法は”時代遅れ”とされ、20点の作品は、プラハから遠く離れたモラヴィアの古城に閉じ込められてしまいました。
 けれども、そのわずか20年後、チェコスロヴァキア共和国はナチスドイツに解体され、大戦後もソ連の共産党支配体制に組み込まれてふたたび独立するのはミュシャ没後50年の1989年になってからのことでした。
 今、戦争や核、テロと経済不況の不安が渦巻いている世界で、「スラヴ叙事詩」のメッセージはチェコ国民だけでなく人類に普遍のものと見なおされつつあり世界中で再評価がはじまっています。

         Alfons_Mucha_at_work_on_Slav_Epic.jpg
                          スラブ叙事詩を製作中のミュシャ



  *参考 「スラブ叙事詩」の全作品を解説してあるサイトです。
               ↓
       スラブ叙事詩全作品解説
  
  また、簡単なチェコスロバキアの年表も追記しました。今回、スラブ叙事詩を鑑賞する上で、チェコの歴史を知ることが必須だと
  ひしと感じてしまいました。私は普段は美術館で音声ガイドは使用しないのですが、今回ばかりは借りたら良かったなぁと後に  なって後悔しました。次の機会には、音声ガイドを使ってみるのもいいかもしれないと(*^_^*)

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DEVID BOWIE is ~ デヴィッド・ボウイ回顧展に行ってきました


 4/9(日) に東京都品川区にある寺田倉庫G1 ビル(天王洲)で催されていた

  ”DEVID BOWIE is ~ デヴィッド・ボウイ回顧展”

  に行ってきました。


          170409_094540.jpg    

                                 
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 開催期間は、2017年1月8日(日)~4月9日(日)で、行ったのが最終日だったので、激混みかと思っていたのですが、時間指定制だったこともあり、意外とゆったりと観ることができました。

  『DAVID BOWIE is』
 このライブ会場に行ったような感覚の展覧会は、2013年に英国の ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催されて以来、世界9都市を巡回。 約160万人を動員し、日本はアジアでは唯一の開催地だそうです。そして、東京では3ヶ月で、12万人を動員しました。ちょうど、開催期間中の1月10日はボウイが亡くなってから1周忌ということで、会場には献花台が設けられたそうです。


 展示の内容は5項目に分かれていて、こんな感じでした。

 1.STARMAN

 1972年7月6日に、BBCの大人気音楽番組 に出演したボウイが披露した“スターマン”のパフォーマンスは、ジギー・スターダストという名キャラクターの誕生を知らせ、まだまだ保守的だった英国社会に大きな衝撃を与えた。 70年代のポップ・ ミュージックの流れを変えたとされている歴史的パフォーマンスを紹介。

   exhibition01-2.jpg

 「僕は誰かに電話をせずにいられなくて君を選んだ」 と歌いながら、 ボウイがこちらを指差す瞬間、 テレビを見ていた若者たちが覚えた興奮を、 再確認できるはず。


 2.FASHION

 想像上のキャラクターになり切るために、 服、 メイクアップ、 ヘアスタイル、 ファッションの力を最大限に利用したボウイ。 彼は、 1970年代初めの 『ジギー・スターダスト』 時代 の山本寛斎、 1990年代後半の 『アースリング』 時代のアレキサンダー・マックイーンを筆頭に、世界中のトップ・デザイナーたちとコラボレーションを行なったり、バレエや演劇など 舞台芸術のスペシャリストたちの手を借りたりしながら、 時に奇想天外で、 時に性差を超えた、 インパクトあふれるスタイルを作り出してきた。

 ボウイ展には、そんな彼が着用した、衣装の数々が集結。 着ても動けそうにない衣装もw

          ジギースターダスト2      ジギースターダスト      
              山本寛斎デザインの衣装                  Ziggy Stardust


          exhibition02-3.jpg


 
 3.JAPAN

 日本文化からインスピレーションを得て、西洋と東洋を交錯させた親日家ボウイの、日本との関わりを解き明かす。

 例えば、 歌舞伎にすっかり魅せられたボウイは、 ライヴ・パフォーマンスに歌舞伎の化粧法や早変わりのテクニックを取り入れたり、 日本人のクリエイターたちとも、 積極的にコラボレーションを敢行。 『ヒーローズ』 のジャケット写真を撮影するなど、 40年以上にわたってボウイを撮り続けた 鋤田正義の写真、 山本寛斎が1970年代にデザインした、 今見ても斬新きわまりない衣装は、 彼のキャリアで重要な役割を担った。 ふたりの作品のほかにも、 1977年発表の楽曲“モ ス・ガーデン”のレコーディングに使われたミニ琴や、ボウイ自ら描いた三島由紀夫の肖像画が展示されている。


                             ボウイが描いた三島由紀夫の肖像画
                         exhibition03-2-5.jpg



 こちらは今回の展示にはなかった写真ですが、親日家のデヴィッド・ボウイは1980年に京都にしばらく滞在し(九条に別荘があったという噂が…)あちらこちらの店やライブ会場などに出没していたそうです。わ~、お会いしたかった♪O(≧∇≦)O♪
 ボウイの逝去に際して、阪急電車は公式ツィッターで、1980年に彼が来日した際の写真を公開しています。昭和のレトロな列車とボウイ様のコラボが凄くお洒落ですよね!


      japan.png

      阪急電車

 ジャパン2


 4.SOUND&VISION

 どのようにして“音楽を展示”するのかという難問に対して、ボウイ展が出した答えは、 最新のテクノロジーを駆使した、 まったく新しいマルチメディア体験を用意すること。
 それらを体験するために、デヴィッド・ボウイ回顧展では、入場者ひとりひとりに専用のヘッドフォンを提供し、 各セクションの内容とシンクロさせた楽曲やインタヴュー音源を聴きながら、展示を 見て、 目と耳でボウイの世界に完全に没入できる仕組みを考えた。
 中でもクライマックスで待ち受ける 「ショウ・モーメント」 のセクションは、 ボウイ展の最大のハイライト。 四方から息つく暇もなく流れてくる映像と音楽は、その場にボウイが降臨したかのような迫力が。

 このゾーンの展示の中に、ボウイが作詞をする際にとった手法の一部を紹介していました。それは、コンピューターであらかじめ抽出した言葉をランダムに組み合わせ、その中の幾つかからインスピレーションに合った文を選んで歌詞にしてゆくというものでした。これって、私たちもやってみたら、彼のような感性豊かな歌詞が書けるかも。


             exhibition04-6.jpg


 5.SPECIAL

  日本オリジナル展示
 「DAVID BOWIE MEETS JAPAN」


  北野武・坂本龍一両氏が 『戦場のメリークリスマス』 を今、語る。

          senmeri.png

 『戦メリ』の撮影時のデビィッド・ボウイの印象をたけしさんと、音楽と俳優両方を担当した坂本龍一さんが語っていました。彼らはボウイとは言葉を交わすことは少なかったけれど、ボウイの演技は、多くを語らなくとも非常に深い理解のもとに行っていたと思うと言っていました。
 『戦メリ』のあのテーマソングの美しい旋律は、何度聞いても心に響いてきますね。

 今回、この回顧展を観て、改めてデヴィッド・ボウイって、かっこいいと思ってしまいました。ヘッドフォンをつけて観て回る展示方法も斬新だったし、映像も臨場感がたっぷりで迫力がありました。でも、一番、私の印象に残ったのは、展示の一角にあった小さなビデオ映像でした。
 それは、NHKの「新・映像の世紀」に収録されていた、1987年、西ベルリン(当時)で、ボウイが行った”ベルリンの壁コンサート”を聞こうと殺到した東ドイツの人々の映像。
 東西冷戦時代のこの年に、ボウイは壁のすぐそばの西ベルリンでコンサートを開いたのです。しかも、スピーカーを、壁の向こうの東ドイツ側に向けて。その時に歌った歌は「ヒーローズ」
 「ヒーローズ」は、ベルリンの壁の下で落ち合ったカップルをテーマにした曲。この歌を歌う前に、彼は観衆に向かって、「壁の反対側にいる私たちのすべての友人たちに願いを送ります」とドイツ語で述べ、男女が出会うその日の間だけ「ヒーローになれる」と高らかに歌い上げたのです。その映像がこちら。

       
                              david bowie berlin

 この2日後、アメリカ大統領のロナルド・レーガンがドイツ人に対し、「この壁を壊しなさい」と求め、ベルリンの壁はその2年後の1989年11月に崩壊しました。
 この歌は、2012年のロンドンオリンピック開会式でイギリス選手団の入場曲にも使われました。
 そして、ドイツ外務省は、デヴィッド・ボウイが亡くなった時、公式ツィッターを通して彼がベルリンの壁崩壊前の1987年に西ベルリン(当時)でコンサートを開き、ヒット曲「ヒーローズ」を歌ってくれたことへの感謝の意を表明したのです。

  Good-bye, David Bowie. You are now among #Heroes. Thank you for helping to bring down the #wall.
  「グッド・バイ、デヴィッド・ボウイ。あなたは今、#ヒーローズ の一員になりました。壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう」と

世界の伝説的なロックスターであるボウイは18カ月間にわたるガンとの闘病生活を経て、1月10日に死去しました。享年は69歳。
これは、彼の死の2日前に撮られた新曲用の写真です。
 最後まで素敵でスタイリッシュでかっこいい。本当のロック魂を持った方だったんですね。その姿と心、そして音楽は永遠に人々の心に生き続けると思います。



              david-bowie2.jpg
                    bowie.jpg



                          最後に、これは、私のお気に入りの写真です(^-^)
                           image.jpeg



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Author:kazanasi
絵画、小説を中心に観たり読んだり、自作で作ったり。サブカル全般に興味があります。暖かい時期には山登りもします。アナログとデジタルの間を行ったり来たりしてる人間です。


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