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「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!世界が認めたその画力」を見に行ってきました



 4月14(金)に、東京都渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで催された
 「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!世界が認めたその画力」を見に行ってきました。

 開催期間は、2017/2/23(木)-4/16(日)


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 私が河鍋暁斎の名を知ったきっかけは、2015年に、三菱一号館美術館、公益財団法人河鍋暁斎記念美術館で開催された展覧会のコピー

 ”狂っていたのは、俺か、時代か?”

 があまりにも、かっこ良かったからです。それに合わせて紹介されていた暁斎の絵の奇想っぷりにも心惹かれました。
 最近は、国内外問わず”奇想の作家”が大ブームです。美術館の入口に長蛇の列を作った伊藤若冲や、海外のボス、アルチンボルト、ブリューゲルなどの展覧会が目白押しです。


                  《これが私を魅了したポスターだ!》”狂っていたのは、俺か、時代か?”
                   暁斎


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                               《化け猫》
                          猫の肉球が… サイズもでかい
                              
               河鍋暁斎『三味線を弾く洋装の骸骨と、踊る妖怪』明治14-22(1881-89)年
                    《三味線を弾く洋装の骸骨と、踊る妖怪》明治14-22(1881-89)年
                    西洋風の衣装で三味線をひく奏者はどくろ。何もかもがユニークです



  残念ながら、三菱一号館美術館の展覧会は見に行くことができなかったので、今回、渋谷のBunkamuraで催された展覧会は絶対に逃すものかと会期が始まるのを今か今かと待ちわびていました。

 暁斎の大まかなプロフィールはこんな感じです。

 《河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)》

 天保2年(1831年)、下総国古河石町(現茨城県古河市中央町2丁目)にて、河鍋記右衛門ときよの次男としてに生まれる。
 父は古河の米穀商亀屋の次男の生まれで、古河藩士・河鍋喜太夫信正の養嗣子で、母は浜田藩松平家の藩士三田某の娘。

 幼い頃から絵を好み、浮世絵師歌川国芳に続いて駿河台狩野派に絵を学び、その画才を賞して「画鬼」と呼ばれた。
 師・国芳の人の様々な形態を注意深く観察すべきだという教えに従い、梅雨の長雨による出水時に神田川で拾った生首を持ちかえり写生して、周りの人々を驚愕させたという話は有名。また、火事現場で火災の様子を写生もしていたとか。

 暁斎は、無類の酒好きとしても知られるが、生涯を通じて知り得る限りの浮世絵や西洋画の画法を研究し、仏画や山水画、戯画や風刺画まであらゆる主題に精通した。聖と俗、貴と賤をない交ぜにした暁斎の作品は、江戸から明治への転換期の混沌とした様相を鮮やかに描き出している。
 明治14年に、後に暁斎の作品の収集家として名を馳せる建築家ジョサイア・コンドルが弟子として入門する。 コンドルは暁斎からイギリスの暁斎を意味する「暁英」の号を与えられるほど親しかった。
 晩年は、根岸(現・荒川区東日暮里)に住み、区内の寺院や料亭に数点作品が残っており、郷土の画家としても大いに評価すべき人物である。
 明治22年(1889年)、胃癌のため逝去。
 暁斎は死の3日前、絵筆を取りたい欲求に抗し難く、枕後ろの障子にやせ衰えた自分の姿と、もうすぐ自分が入るであろう角型の桶を描いたという。
 墓所は谷中にある瑞輪寺塔中正行院、墓石は遺言により、自然石を重ねており、一番上の石は蛙をかたどったもので、蛙を殊のほか愛した暁斎らしい墓石といえる。

 実はこの谷中、瑞輪寺がたまたま、私の職場に近かったせいもあり、お昼休みに暁斎の墓所を見に行くことができました。
 少し奥まった位置にあったので、探すのに苦労しましたが、あの風変わりで超絶な技法の絵を描いた画家が、ここに眠っていると思うと、とても感慨深いものがありました。

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           瑞輪寺の門           ちゃんと暁斎の墓と書かれています。
                        墓標には、次男の暁雲や長女の暁翠の名前等も刻まれていました
                               蛙に似せた墓石が人目を引きます。

 
 今回の暁斎の展覧会は、画商、イスラエル・ゴールドマンのコレクションからの出品でした。


   序章「出会い」

   世界有数の暁斎コレクションを持つイスラエル・ゴールドマン氏が、暁斎のコレクターになるきっかけとなった作品
   象の長い鼻にたぬきが手を伸ばす仕草が可愛いです。ちょっと、たぬきの絵が鼠っぽくも見えますね。

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                      明治3(1870)年以前 「象とたぬき」


                    《鯰の曳きものを引く猫たち》 明治4-12年
                       《鯰の曳きものを引く猫たち》 明治4-12年



  第1章「万国飛」


  暁斎は、安政5年(1858)頃には皮肉や風刺、滑稽味を持つ狂画を描きはじめ、「狂斎」と名乗っていました。しかし、明治3年、不忍池の料亭で新政府の役人を風刺する滑稽画を描き、逮捕されてしまいます。鞭打ちにあったりして、暁斎はこの恥辱を深く後悔し、筆名を「狂斎」から「暁斎」と変えます。
  しかし、4年後の第2回内国勧業博覧会で、「枯木寒鴉図」など4点を出品、それが賞を取ると、鴉は暁斎を一挙に海外に知らしめた作品となり、暁斎は海外に飛んでいく鴉を思い、鴉と万国飛の文字を組み合わせた印を作りました。

       河鍋暁斎《二羽の泊鴉に山水図》明治16年             烏瓜に二羽の鴉
        《二羽の泊鴉に山水図》明治16年              《烏瓜に二羽の鴉》明治4~22年

  第2章「躍動するいのち」

  暁斎は鴉をはじめ、鷺、虎、象、狐から鼠や猫、また蛙や昆虫などの動物を自由自在に描きました。その多くは実物の写生に基づいています。
 暁斎は動物たちを擬人化、絵の中の動物たちはまるで人間のように踊り、歌い、自由な彼らの動きは、手足がありえない方向に曲がっていたりしても、少しも不自然さを感じさせません。


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                           《蛙の踊り》
                           狂喜乱舞(^^)



    《動物の曲芸》 明治4-22(1871-89)年
                   《動物の曲芸》 明治4-22(1871-89)年    


                             
                             蛙の放下師(ほうげし)
                          《蛙の放下師(ほうかし)明治4–22(1871–89)年
                                愛嬌と躍動感がたっぷり


                            河鍋暁斎「猫と鯰」 1871-89年
                                《猫と鯰》1871-89年


  第3章「幕末明治」

 江戸から明治に時代が変わり、人々は、大きな価値観の変化を受け入れざるを得ませんでした。しかし暁斎はいかに周囲が変わっても変わりのない人間の本質を描きました。
 
 版画の世界では描写がもっと過激になり、師の歌川国芳を凌駕するほどのダイナミックさで描かれています。


          開化放屁合戦絵巻
                            《開化暁斎絵巻》
                           
              暁斎の他にも放屁合戦を描いた絵巻は江戸時代には多数あり、世界を驚かせたそうです

 興味があったので調べてみると、暁斎以外の作品なのですが、こんなサイトがありました。確かにすごい(笑)でも、あけっぴろげというか、とてもユーモラスで独創的! おもしろいです。とばっちりを受ける猫の絵は、気の毒というか…(´∀`)


 「屁合戦絵巻」弘化3年(1846年)に写本された「福山画師 六十九翁 相覧」早稲田大学図書館所蔵
 この詳しい画像はこちらのサイトで見ることができます。とても面白いです。
                 ↓

 【昔の人はすごかった……互いを屁でぶっ飛ばすバトルを描いた江戸時代の奇想天外な絵巻物「屁合戦絵巻】


  屁合戦絵巻の絵の一部です。
  「屁合戦絵巻」馬上からの攻撃
                 馬上からの攻撃


                   「屁合戦絵巻」弘化3年(1846年)に写本された「福山画師 六十九翁 相覧」
                                 とばっちりを受ける猫




  第4章「戯れる」

 暁斎にとって、七福神は特別な意味を持っています。これに鍾馗や風神雷神、山姥などを含めても良いかもしれません。
 本来の役割を演じている場面もありますが、多くの場合、七福神は宴会をしていたり、自分たちの家来である鼠や鯛などと打ち興じていたりします。鍾馗(しょうき)もまた退治すべき鬼と戯れたり、あるいは鬼を使って曲芸を演じたり、危険な崖へ薬草を取りに行かせたりしています。
 
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                           《鍾馗と鬼》 明治15(1882)年

                             『鬼を蹴り上げる鍾馗』明治4-22(1871-89)
                           《鬼を蹴り上げる鍾馗》明治4-22(1871-89)
                               蹴りあげる動きがいいですね!




  第5章「百鬼繚乱」


 暁斎は写生を最も重視していましたが、後妻の阿登勢が亡くなったとき、暁斎は彼女を抱き起してその顔や姿を写生したといい、「幽霊図」はその写生を元に描かれたと伝えられています。
 また暁斎はさまざまな流派の研究に対しても、当時の絵師としては珍しいほど熱心でした。暁斎は先達の作品を参考にしながら、そこに原作者の筆意を感じ取り、場合によっては自らの写生も加味して、さまざまな異界の図像を作り出しました。

《百鬼夜行図屏風》1
                            《百鬼夜行図屏風》

《百鬼夜行図屏風》2
                            《百鬼夜行図屏風》  



                 地獄太夫と一休 明治4-22年
                        《地獄太夫と一休》明治4-22年  

  上の作品の部分拡大図です。どくろの三味線弾きがいたり、地獄太夫の着物の柄に七福神っぽいのがいたりと、自由自在の表現をしています

      jigokutayu4.jpg
         左側にはどくろの三味線弾き

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               福禄寿か布袋様?

      jigokutayu6.jpg
                右下にはまた、どくろが。踊ってますねぇ♪


  第6章「祈る」「笑う」

 
 最後の展示には、観音図や達磨図の他に春画も。
 ここでは、暁斎のレパートリーの広さに改めて驚かされてしまいます。
 
 春画は笑い絵とも言われますが、性行為をする男女の横に猫がいたりと、暁斎の場合は文字通り笑いに溢れています。

 展覧会の会場では、春画のコーナーは入口が他のコーナーと分けられていて、その旨の注意書きがあったりしましたが、卑猥さはまるでなくて、来館者たちも気楽に鑑賞している感じがしました。以前、日本での春画の公開はスポンサーが嫌がるので難しいという話を聞いていたので、時代も変わったのだなぁとしみじみ。


  《龍頭観音》明治19(1886)年     「祈る女と鴉」
     《龍頭観音》明治19(1886)年                  《祈る女と鴉》



                         「義経と弁慶」明治4~22年
                             春画 《義経と弁慶》明治4~22年
                             今で言うBLってやつか(・∀・)


 暁斎の描く動物たちは、ユーモラスで可愛く、まるで人間社会を模しているように動き回っているし、女性は幽霊やら太夫も嫋(たおや)かで美しい。骸骨が大好きで春画も描いたりはしているけれど、社会を風刺したり、皮肉ったりはしていない。これだけの超絶技巧と面白い感覚持った画家って珍しいのではないでしょうか。


   『鳥獣戯画 鼠曳く瓜に乗る猫』 明治12(1879)年ごろ
              《鳥獣戯画 鼠曳く瓜に乗る猫》明治12(1879)年ごろ


                                  「地獄太夫かいこつの遊戯をゆめに見る図」
     《地獄太夫かいこつの遊戯をゆめに見る図》

          「花を活ける骸骨」
                  《花を活ける骸骨》
                     可愛い!


 最後に、今回の展覧会の開催にあたって、ゴールドマン氏から寄せられたのメッセージがHPに記載されていましたので、複写させていただきました。

   「なぜ、あなたは暁斎を集めているのですか?」 2002年、東京の太田記念美術館で私のコレクションによる最初の暁斎展について議論しているとき、初めて出会った有名な北斎研究家の永田生慈氏が、私にこういう質問をしました。これまで、だれ一人、このような直接的な質問をした人はいませんでした。ためらいなく、私は本能的にこう答えました、「なぜなら暁斎は面白いからです」

   私は暁斎を、その技術的な素晴らしさと人を魅了する力、感傷的でない動物の描写などで崇拝していましたが、何よりも彼の異様なほどのウィットとユーモアこそが、ほかの画家たちと彼との間に一線を画すことに気が付きました。
 私は、ロンドンのオークションで誰もが見落としていた彼の傑作、豪勢にも僅か55ポンドで落札して以来、暁斎の作品をおよそ35年以上にわたって収集しています。同じころ、私は一匹の象が遊んでいる小さい作品も入手しました。翌日、私はその小品を著名なコレクターに売却してしまったのです。しかし翌朝早くに目を覚まして、何か極めて価値あるものを失ってしまったことを嘆きました。数年間にわたって懇願した末に、それを買い戻すことに成功しました。(暁斎が私を発見したのであって、逆ではないと信じることは、コレクターの虚栄であります。)

   暁斎は収集するに値する素晴らしい芸術家であります。彼の作品は、スタイルにおいて、主題において、また技術において、ずば抜けた広がりを持っています。そして私は彼の代表的な作品を網羅するために、あらゆる努力をしました。今回の展覧会に展示されている作品の多くは、暁斎を愛する人々には良く知られているものですが、およそ80点は完全に新しい発見です。私はこのように暁斎に関する個人的な視点を表明する機会を与えられて、極めて有り難く思っています。 



 今回、参考にさせていただきましたBunkamuraでの展覧会の詳細は下記のサイトでご覧になれます。
     ↓
  【ゴールドマンコレクション これぞ暁斎!】


 

 
 

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プロフィール

kazanasi

Author:kazanasi
絵画、小説を中心に観たり読んだり、自作で作ったり。サブカル全般に興味があります。暖かい時期には山登りもします。アナログとデジタルの間を行ったり来たりしてる人間です。


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