2020.07.10(金)
6/24(水)に、コロナの影響で延期になっていた、上野の国立西洋美術館のロンドンナショナルギャラリー展へ、ようやく行くことができました。
感染対策はどうなのかと危惧した面もありましたが、チケットは時間指定制の上に、館内に案内される人数も制限されていて、ソーシャルディスタンスを守るための足元テープや、サーモグラフィの設置、マスクの着用も徹底されていて、安心して絵を鑑賞することができました。
人数制限があったので、普段より絵の前に集る人も、ぐっと少なく、ゆったり観れたのは嬉しかったです(商業的には気の毒ですが…)
けれども、早く、コロナが収束して、もっと自由に絵を見て回れるようになればいいのに。
ロンドンナショナルギャラリーは、ロンドン中心部、トラファルガー広場に面して建つ美術館で、1824年に設立されました。同館は西洋絵画に特化し、13世紀後半から20世紀初頭までの約2,300点の作品を所蔵しています。行きたくても、イギリスは遠い。行くにはお金もかかるし休みも取れない。おまけにコロナで渡航制限だし、日本にいながら、その中から61点もの作品を見れるなんて至福の喜びです。
トラファルガー広場に面したロンドンナショナルギャラリー
今回のロンドンナショナルギャラリー展では、日本で初の一挙61点を公開ということもあり、私事なのですが、フェルメールの『ヴァージナルの前に座る若い婦人』を『ピータバロ~青年画家とお嬢様のハートフル美術系ミステリ-』と題した自作小説のモチーフにしていたこともあり、チケットの指定券が取れた瞬間、もう心臓がドキドキ、ワクワクでした。
ついでなんで、自作小説の紹介を(#^.^#)
『ピータバロ~青年画家とお嬢様の美術系ハートフルミステリ-』
↑小説家になろうに掲載しています。
画:風梨凛 絵の舞台はイギリスの小都市、ピータバロ
ロンドンナショナルギャラリー展に話を戻さねば。
今回の展覧会は、イギリスがどのようにヨーロッパの西洋絵画に影響を受け、受容していったかを客観的に捉えるために、テーマごとに7つのコーナーに分けられていました。そのテーマ毎に、私が気になった作品を1点ずつ、ご紹介します。
Ⅰ イタリア・ルネサンス絵画の収集
16世紀のフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィア絵画は、ロンドン・ナショナル・ギャラリーのコレクションの中核をなす分野であり、ルネサンス絵画の収集にも重きをおいている。
聖ゲオルギウスと竜 1470年頃 パオロ・ウッチェロ
聖ゲオルギウスは、ドラゴンの生贄にされそうになっている王女を助ける。そして、町中の人々がキリスト教の洗礼を受ければ、自分はドラゴンを退治できると約束し、それを実行する。
この絵には、聖ゲオルギオスは大天使ミカエルの地上の姿であり、天上でドラゴンに苦しめられた王女は、シンボル化された聖母マリアということであり、聖ゲオルギオスはマリアを救うことでキリスト教を守ったという意味も込められている。
キリスト教の聖人伝説をまとめた『黄金伝説』には数多くのドラゴン退治物語が記載されており、聖ゲオルギオス伝承もその中に記載されている。
『聖ゲオルギウスと竜』を描いた絵画はたくさんありますが、ゲオルギウスが持っているのはほとんどが長槍です。ウッチェロの竜はちょっと爬虫類っぽいですね(゚д゚)
Ⅱオランダ絵画の黄金時代
19世紀にイギリスは17世紀のオランダ絵画を買い集めた。地理的にも近く、交易や商業で繁栄したオランダの文化は、19世紀にそのあとを追い海洋帝国としての栄華を極めたイギリスにとっても親しみやすいものだったからだ。
このコーナーに私が待ち望んでいたフェルメールの絵があるのは、調査済み(笑)でしたので、展示室に入館したとたんに、絵の前に行きたくて行きたくて、結局は他の絵を飛ばして、この絵の前に先に行ってしまいました。もちろん、他の絵も後でしっかりと見ましたよ。
『ヴァージナルの前に座る若い婦人』は、1675年頃に描かれた現存する、ヨハネス・フェルメールの最後の作品と言われている油絵です。
『ヴァージナルの前に座る若い婦人』 1675年頃 ヨハネス・フェルメール
鍵盤にそっと手をかけた若い婦人のたおやかなポーズと、鑑賞者の方向に向けられた蠱惑的な眼差し。画面の左下から差す柔らかな光は、青のドレスの襞を波のように画面に浮かび上がらせている。
この”フェルメール・ブルー”とも呼ばれる、高貴な輝きをもつ青の正体は、宝石のラピスラズリを砕いて作られた顔料の”ウルトラマリンブルー”であり「星のきらめく天空の破片」とまで称されるラピスラズリを、当時は大変な高値だったにもかからわず、フェルメールは惜しみなく、一枚の絵画を描きあげるのに使っていたという。
絵の右上に目をやると、大きな一枚の絵が飾られている。この絵はディルク・ファン・バビューレンの『取り持ちの女』という作品で、売春婦と客、その取り持ち女が描かれている。フェルメールは、『取り持ち女』の粗野な俗世界と対比させることで、『ヴァージナルの前に座る若い婦人』の家庭的な平和や高貴さを際建てせようとした。
フェルメールの絵はどの絵も小さいのですが、色彩や窓辺から差し込む光の具合がとても美しいです。現存するフェルメールの絵はたったの35点。全盛期の作品に比べて、『ヴァージナルの前に座る若い婦人』は細かい模様等が形骸化されていて、評価は低いと聞きましたが、私はこの絵が好きです。フェルメールの作品の中では、彼女が一番、美人です!
Ⅲヴァン・ダイクと イギリス肖像画
17世紀前半のフランドル人画家ヴァン・ダイクは、18世紀のイギリス肖像画に強く影響を及ぼした、。イギリスの画家たちが、ヴァン・ダイクによる型をどのように引き継いだかを各々の絵画の展示によって、検証する。
『トマス・コルトマン夫妻』 1770~72年頃 ジョゼフ・ライト・オブ・ダービー
『トマス・コルトマン夫妻』は、18世紀のイギリスの画家、ジョゼフ・ライト・オブ・ダービーによって描かれた”カンヴァセーション・ピース”と呼ばれる、会話を楽しんでいるような雰囲気を醸し出している肖像画。
かつての貴族の権威を示すための肖像画と違って、背景は自宅、馬と犬が見つめあっている姿など、随分、砕けた表現で描かれている。
よく見てみると、コルトマン夫妻の夫のズボンのポケットからはコインが飛び出し、愛嬌がある。
夫妻はダービーのパトロンだったようで、親し気な感じがよく出ています。
Ⅳ グランドツアー
18世紀、イギリスでは上流階級の子息たちが遊学のために、イタリアを訪れることが流行し、それは、グランド・ツアーと呼ばれた。そうした旅行者たちが持ち帰ったヴェネツィアやローマの都市景観図(お土産の絵葉書みたいなもの)を通じてイギリスに広がった。
イートンカレッジ 1754頃 カナレット
カナレットは、本名をジョバンニ・アジョバンニ・アントニオ・カナルといい、グランドツアーに出向いたイギリス人旅行者に非常に人気があった画家。
イートン校はイギリス、テムズ川に面した名門のパブリックスクールで、英王室のウィリアム王子やハリー王子の出身校でもあり、日本からは天皇陛下の長女、愛子様がサマースクールに参加したほどの超有名校である。
カナレットは、イートン校の礼拝堂を正確に描写する反面、テムズ川周辺でくつろぐ人たちの姿や景観などは自由に描き、調和のとれた構図を作り出した。
当時からお土産には絵葉書だったんですね。私も美術館に行った際には、必ず、絵葉書を買います。今も昔も皆、同じ。
Ⅴ スペイン絵画の発見
19世紀初めのスペイン独立戦争にイギリス軍が参戦したことを契機として、ベラスケスやスルバランなどの作品がイギリスにもたらされ、評価が確立された。そうした歴史を作品を通じての検証。
『窓枠に身をのしだした農家の少年 1675~80年頃 ムリーリョ
ムリーリョは、本名をバルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョといい、17世紀のスペイン黄金時代美術の歴史を代表する画家で、聖母像や、愛らしい子どもの絵を数多く手がけた。
彼は子供を次々と5人もペスト等で亡くし、6人目の娘も耳が聴こえなかった。そのためか、子供を描いた絵も多数残している。
今回のロンドンナショナルギャラリー展で来日した『窓枠に身をのしだした農家の少年』には、実は、対になる『ショールを持ち上げる少女 』という絵があり、その絵と照らし合わせてみると、年上の女の子に視線を送る思春期の少年の様子が窺える。
『ショールを持ち上げる少女』 1670頃 ムリーリョ 個人蔵
思わせぶりな少女の視線がとても気になります。少年を誘惑しているのでしょうか(〃▽〃)
Ⅵ 風景画とピクチャレスク
18世紀後半からイギリスでは、「絵のような(ピクチャレスク)」美を尊ぶ価値観が流行し、ロマン主義風景画が隆盛した。コンスタブルやターナーなどの風景画の巨匠の作品がいかにして生まれたのかをこのコーナーでは検証する。
ジョセフ・マロウド・ウィリアム・ターナーは、イギリスで屈指の風景画家で、 1802年に史上最年少の26歳でイギリス美術界を担うロイヤル・アカデミーの正会員に選出されていいます。
その画風は初期の写実的なものから、時代によって変化し、『ポリュフェモスを愚弄するオデュッセウス』は、後期の光の中におぼろげに浮かび上がった形で情景を描いた作品の一つです。
ポリュフェモスを愚弄するオデュッセウス 1829年
古代ギリシアの詩人ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に記されている逸話で、英雄オデュッセウスが、一つ目の巨人ポリュフェモスを酔わせ、巨人のいる島から脱出する場面を描いた作品である。
画面中央の少し右上には泥酔したところで眼を潰されうつ伏せるポリュフェモスが描かれているが、その姿は後ろの景色と同化しておぼろげにしか見えない。
船の上には赤い旗を振るオデュッセウスと、逃げる船員たち。
画面右側には、太陽神アポロンの光の馬車が描かれているが、こちらも登る朝日と同化し、画面の明るさを際立たせるとともに、神々しい効果をもたらしている。
この絵を近くで見て、アポロンの馬車の形を見つけた時、鳥肌が立ちました。神々しいとはこういうことかと。
Ⅶ イギリスにおける近代美術受容
最終章では、19世紀フランスで進んだ近代絵画の改革がどのようにしてイギリスにもたらされていったのか。アングルから印象派を経てゴッホ、ゴーガンに至る流れを、イギリスの視点から紐解く。
今回の展覧会では、ゴッホの描いたとされる『ひまわり』全7点(1点は焼失)の中の1点が来日していたのですが、ゴッホのサインが入っているのは、この絵と他1点の計2点だけです。これは、ゴッホが親友のゴーギャンを招くための”黄色い家”に飾るために描いたとされています。
『ひまわり』 1888年 8月 フィィンセント・ファン・ゴッホ
ロンドンナショナルギャラリー展では、今回来日した作品の他、6点の『ひまわり』の絵の写真のパネル展示がありましたが、1点は焼失したしまったとはいえ、ゴッホの絵が2点も日本にあったとは驚きです。
以下に、その7点を年代順に紹介しておきます。
1888年 個人贈(アメリカ)
1888年 焼失(山本顧彌太 旧蔵)
1920年(大正9年)に実業家の山本顧彌太が、スイスにて7万フラン(約2億円)で購入。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月6日、アメリカ軍の空襲(阪神大空襲)を受けて焼失した。
1888年 8月 ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン)
1888年 8月 ナショナルギャラリー(ロンドン) *今回、来日した絵です。
1888年 12月~1889年1月 SOMPO美術館(東京)
日本がバブルの時代の時に、SOMPO美術館が53億円で競り落としたこの作品は、一時贋作問題が浮上し、調査によって真作と判断が下されたが、未だに贋作疑惑が取り沙汰されている。
仮に贋作だったとしても53億も支払ったSOMPOとしては、認めるわけにはゆかないかも(;_;)
1889年 1月 ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)
1889年 1月 フィラデルフィア美術館(フィラデルフィア)
待ちに待って、ようやく、観にゆくことができた、ロンドンナショナルギャラリー展。
充分なボリュームがあり、テーマに添った展示も分かりやすくて、とても良かったです。
今回は、ナショナルギャラリーが所蔵しているフェルメールのもう1点の絵画『ヴァージナルの前に立つ女』が来ていなかったので、そちらも見てみたいです。現地に行って観るのが一番なのでしょうが、いつか実現できればいいなあ。
ロンドンナショナルギャラリー展の日程は、以下の通りです。東京展は、日時指定券を購入する必要があるので、行かれる方はご注意下さい。
東京展 国立西洋美術館(東京・上野)
2020年6月18日(木)〜10月18日(日) 午前9時30分~午後5時30分(金曜日、土曜日は午後9時まで)
※入館は閉館の30分前まで *要日時指定券
休館日 月曜日、9月23日
※ただし、7月13日、7月27日、8月10日、9月21日は開館
大阪展 国立国際美術館(大阪・中之島)
2020年11月3日(火・祝)〜2021年1月31日(日) 午前10時~午後5時(金曜、土曜日は午後8時まで開館)
※入場は閉館の30分前まで
※変更になる可能性があります
休館日 11月16日(月)、11月24日(火)、11月30日(月)、12月14日(月)、12月30日(水)〜1月2日(土)、1月18日(月)
※変更になる可能性があります
ロンドンナショナルギャラリー展公式HP
参考:ロンドンナショナルギャラリー展公式HP
Wikipedia