降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男 ~弥生美術館



 1月22日(水)に、東京都文京区 千代田線根津駅から徒歩7~8分、東大 弥生門前にある弥生美術館へ行ってきました。
今回の目的は、待望していた昭和初期の挿絵画家、伊藤彦造の展覧会を見ることです。

    ”降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男” 

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 えらく大げさなタイトルがついていますが、これは決して大げさじゃない。そのくらい、この伊藤彦造という画家が描く絵(ペン画)、は、死の覚悟があり、鬼気迫り、神々しく、かつ繊細、優美でもあります。
そして、プロフィールがまた、驚きで、

 1904年(明治37年)に、剣豪伊藤一刀斉の末裔に生まれた。橋本関雪に日本画を学ぶと、大正14年に「大阪朝日新聞」掲載の番匠谷英一「黎明」の挿絵でデビューする。
 幼いころから剣術に親しみ、少年時代には修行に真剣を用いたという。また、自らの腕を切り、その血で絵を描いたこともある。
「心は画人ではなく武人」と語った異色の画家であり、主に剣劇シーンの挿絵が多いが、川端康成監修「少年少女世界の名作文学」では、ギリシャ神話、ロシア童話などの繊細な挿絵も手掛けるなど、今でもその才能に魅かれるファンは多い。
 昭和40年代まで「少年倶楽部」「キング」などで活躍したが、70代で視力の衰えのため画業を引退、平成16年(100歳)で老衰で死去。



 私が伊藤彦造の挿絵を知ったのは、「少年少女世界の名作文学」の繊細なペン画で、長年、彼の挿絵が好きでたまらなかったにも関わらず、実はそのプロフィールも剣劇画が作品の主流であることもほどんど知りませんでした。ですから、今回、弥生図書館に出品された数々の挿絵や説明を見た時には、この人って、こういう画家だったのかと、目から鱗が落ちる思いがしました。
 今回の展覧会で、私は、ますます、彦造の絵が好きになったわけですが、弥生図書館で伊藤彦造の展覧会が行われたのは、平成3年、6年、11年、15年、18年に続いて6回目だそうです。それだけ、ファンが多いのでしょうし、それも頷ける気がします。



 展示作品は、沢山ありましたが、その中からいくつかを紹介すると、

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                               曽我五郎時致 
 *曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)は、建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つである。

 曽我五郎のこの挿絵には色気がありますね。心に宿した覚悟が凛と表情に現れて……凝視していると、口元から彼の決意の言葉が聞こえてくるようです。


 また、彦造は、自分の門下生にポーズを取らた写真を下地にして、剣劇の挿絵を描くこともあったそうです。それによって、場の臨場感をさらに高めようとしたのでしょう。今回の展覧会には、それらのポーズ写真が7点展示されています。


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 下地の写真 門下生にポーズを取らせています。         昭和6年6月号の『日本少年』付録、「飛沫」    
                                       左の写真と同じポーズをとっています。
                                                         
                                                       


ジャガーの眼
 「豹の眼」 昭和3年~ 「少年倶楽部」 高垣眸 著

 *ジンギスカンの血をひく日本人・黒田杜夫(モリー)と清王朝再興を目指す秘密結社「青竜党」の娘・錦華が、悪のジャガーが率いる秘密結社“豹の眼”とのジンギスカンの隠し財宝争奪戦に挑むという話。モリーと錦華が危機に陥ると、正体不明の正義のジャガーが現れ2人を助けてくれる。



阿修羅天狗
昭和26年2月号の『冒険活劇文庫』に掲載された作品 「阿修羅天狗」野沢純 著

*幕末を舞台に、正義の覆面剣士・修羅が活躍する活劇で、下の挿絵の登場人物の一人、美少年・伊織が素敵です。
 父の仇の紫頭巾をつけ狙っているのに、いつもその紫頭巾の助けられてしまう少年伊織。そういう展開って、いつの時代でも心魅かれるものです。しかし、彦造の描く美少年は、どの作品も色っぽいなぁ。


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       少年 伊織                   アップです。美人だ。


*展覧会場には、彦造が挿絵を描いた新聞小説「修羅八荒」などの作品のコピーを同好会の方がファイルに束ねた資料を見ることもできて、思わず椅子に座りこんで見いってしまいました。昔の資料でもちゃんと残っているんですね。
 


  挿絵:伊藤彦造、行友李風「修羅八荒」(朝日新聞、1925〈大正14〉年)       t02200410_0800149111585905346.jpg
    行友李風著「修羅八荒」より(朝日新聞、大正14年)


 また、彦造は自らの腕を傷つけ、画を描いたという話は前述しましたが、満州事変の翌年、昭和7年28歳にして自らの血で「神武天皇御東征の図」を描き陸軍大臣・荒木貞夫に贈り、さらに翌年ペンで国に尽くそうと「大日本彩管報国党」を結成したそうです。
 芸術家、それもこんなに繊細なペン画を描きながら、武人って、つくづく異色のプロフィールですね。



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    腕を傷つけ、画を描くための血を絞り出す彦造        自らの血を混ぜて描いた「神武天皇御東征の図」        
    失血のためにふらふらになってしまったとか(驚!)




              「杜鵑一声」は昭和四年
                 昭和4年 「杜鵑一声」(とけんいっせい)              

            *昭和天皇大阪行幸の折り、天覧になった作品。杜鵑(とけん)は、ホトトギスのこと。
             少年剣士が月の光をバックに日本刀を掲げ、立志の心を誓っているといったシーンでしょうか。


               「運命の剣」少年倶楽部、s4、3月号
                       昭和4年 「運命の剣」 少年倶楽部3月号  

 *15歳で新撰組に入隊し、その若さゆえ、小姓として副長の土方歳三の世話係をこなしていた少年、市村鉄之助をモデルとした小説。鉄之助は、死を覚悟した土方の命を受け、その遺品を届けるために五稜郭を脱出し、土方の故郷・日野(東京都日野市)に向かったというエピソードの少年です。



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                  渡辺綱による羅生門での鬼退治の場面。
                  昭和24年11月号 『冒険活劇文庫』の折込口絵 「羅生門」
                  *渡辺綱による羅生門での鬼退治の場面。


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                         「角兵衛獅子」
                   大佛次郎著 「鞍馬天狗」の中の挿絵


 弥生図書館での”降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男”での作品を紹介してきましたが、ここからは、私が大好きな「少年少女世界の名作文学」の挿絵の中からピックアップして伊藤彦造の作品を載せてみました。
 「少年少女世界の名作文学」は、1965年から1967年まで、毎月発行されていた世界の名作の数々を掲載した全50巻の児童文学書で、名作といわれる世界の児童文学をほぼすべて網羅し、作品のみならず、翻訳、挿絵、装丁ともに素晴らしい本でした。
 詳しくは、私のブログの他の記事にも載せてありますし、そちらでも伊藤彦造を紹介していますので、興味のある方は、そちらも見て下さいね。
   ↓
本と挿絵
池田浩彰と少年少女名作文学の挿絵画家たち
     

 ☆「少年少女世界の名作文学」での伊藤彦造の作品

             平家物語
                          平家物語


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                   平敦盛 
 *熊谷次郎直実が、17歳の敦盛の姿に我が子を重ね、「助けまいらせんと存じ候へども、味方の軍兵-ぐんぴょうー雲霞のこどく候ふ。よものがれさせ給はじ。人手にかけまいらせんより、同じくは直実が手にかけまいらせて、後の御孝養をこそ仕候はめ」と言って、敦盛の死後の供養を約束し、泣く泣く首をとった話に、しんみりとさせられたものです。


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                   山椒大夫 安寿と厨子王           

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                                  山椒大夫


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                    主人公のジェロームとアリサ

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                             狭き門 
              ”狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし”

 新約聖書のマタイ福音書第7章第13節。すなわち困難であっても多数派に迎合せず、救いにいたる生き方の喩え。ノーベル賞作家、アンドレ・ジッドの作品です。彦造の挿絵がよく合ってますね

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             ロビンソンクルーソ

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                      ホメロス神話


 上に載せたのは、ほんの一部ですが、ファンタジー色の強い、また西洋画のようなタッチの挿絵も彦造は描けたのですね。まったく、凄い才能としか言いようがありません。


 ”降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男”展は、3/20まで、文京区 弥生美術館で開催されています。弥生美術館に併設されている竹下夢二美術館も同じチケットで見ることができます。渡り廊下でつながった二館を見るのも、面白く、この美術館は、私はけっこう気に入っています。

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 ”降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男”

  会 期: 2014年1月3日(金)~3月30日(日)

  開館時間: 午前10時~午後5時
 (入館は4時30分までにお願いします)
  休 館 日: 月曜日

  料   金: 一般900円/大・高生800円/中・小生400円
  (竹久夢二美術館もご覧いただけます)
                 

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

     

ターナー展に行ってきました



11/14(木)に上野の東京都美術館にターナー展を見に行きました。

上野公園は、紅葉も始まり風景はすっかり秋仕様で、美術鑑賞にはぴったりの季節になりました。

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   青空に紅葉が映えて綺麗でした。 奥に見えるのは国立博物館

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さて、今回のターナー展ですが、ロンドンのテート美術館から、油彩画の名品30点以上に加え、水彩画、スケッチブックなど計約110点を展示し、英国最高の画家として西洋絵画史上に燦然と輝く風景画の巨匠、ターナーの栄光の軌跡をたどる企画だそうです。私が行ったのは、平日のお昼くらいでしたが、それほど混みあっているほどではなく、丁度良いくらいの観覧者数でした。

 ターナーは1775年、ロンドンに生まれました。幼い頃から優れた水彩画に画才を発揮し、後には油彩も始めて、弱冠26歳にして、ロイヤル・アカデミー(王立芸術院)の正会員になります。
 崇高の美を追求し、また、光と色彩が溢れる幻想的な画風は、クロード・モネをはじめとする後のフランス印象派の画家たちにも大きな影響を与えたとされます。日本では、夏目漱石が愛した画家としても有名で、また、イギリス映画の007で、J・ボンドが待ち合わせに使ったのが、テートギャラリーのターナーの絵の前だったり、世界的にも愛されている画家です。

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                ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)
                               自画像


今回の展覧会は、Ⅰ「初期」~Ⅹ「晩年の作品」に年代順に分けての展示がされていましたが、その中で印象に残った絵を紹介したいと思います。

Ⅰ初期

月光、ミルバンクより眺めた習作 1797年
          月光、ミルバンクより眺めた習作 1797年

ターナーが若い日々を送ったミルバンク。穏やかなテムズ河の様子が伝わってくる作品。暗い夜の景色に浮かび上がる月光の明るさが印象的。


Ⅱ「崇高」の追求

バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」1798年
     バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」1798年

1797年にイングランド北西部を旅したターナーは、多くのスケッチを描き、移り変わる天候や光の描出に力を注いだ。

「堂々たる儚い弓が/壮大にそびえ立ち、ありとあらゆる色彩が姿をあらわす」


 これは、ターナーがこの絵にそえた、落日を迎えた山並みに突如かかる虹を歌ったジェイムズ・トムソンの詩句「春」からの数行です。
         

ターナーの肖像 1852年
                 グリゾン州の雪崩 1810年

ペインティングナイフを駆使した絵肌が、雪崩のすさまじい迫力を伝えている。
 この絵は、実際にグリゾン州で25名の犠牲者を出した雪崩の事故を元にして描かれているが、人の姿はどこにもなく、極端に強調された遠近法や、飛び散る岩石などが、自然の猛威をあらわし、ターナーがそれに「美」に劣らぬ「崇高」を見出そうとした時期の作品。

*迫力があって、会場でもこの絵はよく目立ちました。


Ⅲ 戦時下の牧歌的風景

                「絵画のための習作集、アイズルワース」スケッチブック 1805年頃
               絵画のための習作集、アイズルワース」スケッチブック 1805年頃

     *ハードカバーの本くらいのサイズの小さなスケッチブックに、この細密画です。ターナーって凄い!
       当時のパトロンに、制作前に見せるために、このようなスケッチを何枚も描いていたようです。


   チャイルド・ハロルドの巡礼ーイタリア、1832年
           チャイルド・ハロルドの巡礼ーイタリア、1832年

澄んだ青空の下で踊る人々。遠方には古代ローマ時代の廃墟。17世紀の画家、クロード・ロランの構図にならったこの横幅約2.5mもある作品の中でひときわ目をひくのは、傘のように枝を張った松だ。
 実は、この絵のことを、文豪の夏目漱石が、小説「坊ちゃん」の中で、教頭の赤シャツと画学教師の野だいこの台詞として取り上げている。彼らは、小さな島に生える松を眺めてこんな会話をしている。

「あの松を見給え。幹が真っ直ぐで、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だいこにいう…中略)…すると、野だいこが、どうです教頭、これからあの島をターナー島と名付けようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、われわれはこれからそういおうと賛成した」 

四十島
 二人の会話のモデルになったといわれている松山市の名称「四十島」。
 地元では、今も「ターナー島」の愛称で親しまれているそうです。地元有志で作った「ターナー島を守る会」もあるそうで。

 また、英文学を学び、英国留学の経験のある漱石は、評論「文学論」の中で、

 - かのTurner(ターナー)の晩年の作を見よ。彼が画(か)きし海は燦爛として絵具箱を覆したる海の如し -  

 と、ターナーに賛美を送っています。特に、ターナーと同世代に生きた英国の詩人バイロンの物語詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」をモチーフとした同タイトルの絵は、漱石の興味を引いたのでしょうね。
 
                                        (朝日新聞、11/17の記事より)




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      スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船 1808年

ターナーは、ナポレオン戦争を契機に海戦の主題に興味を抱き、いくつかの大作を手掛けている。本作は1807年に英国とデンマークが衝突し、降伏したデンマーク軍艦の護送の様子を描いている。


Ⅳ イタリア

ラファエロ
 ヴァティカンから望むローマ、ラ・ファロナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ 1820年

 幅3メートルを越える大きな作品で、ルネサンス期を代表する偉大な画家ラファエロを讃えるもの。

 ターナーがこの作品を発表したのは、折しもラファエロ没後300年にあたり、ターナーは、16世紀にラファエロと弟子たちが装飾をほどこしたサン・ピエトロ広場を見下ろす優雅な回廊に、ラファエロ本人を、その右側には「ラ・フォルナリーナ」(パン焼き娘)の名で知られる、恋人でミューズであったマルゲリータ・ルティの後ろ姿を描いた。
 ラファエロの周りに様々な美術品が並んでいるのは、絵画、素描、彫刻、建築設計の広い分野に発揮した多才ぶりを讃えるもので、また、この絵を描くことで、ターナーは自分自身も技を究めた名匠であり、ラファエロの衣鉢を継ぐ者であることを世間に示そうとした。

*絵の中央に、先に上野の国立西洋美術館の「ラファエロ展」にも展示された「聖母子」の絵もありますね
             ↓
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         ラファエロ「聖母子」



            ターナーの肖像 1852年
                         レグルス 1828年(1837年に加筆)

 古代ローマの将軍マルカス・アティリウス・レグルスは、第一次ポエニ戦争(紀元前264-241年)でカルタゴの捕虜となった将軍。
 伝説によると、レグルスは暗い地下牢に閉じ込められ、瞼を切り取られる。その後、牢獄から引きずり出され、陽光に当たり、失明する。ターナーは瞬きしないレグルスの目が眩いばかりの陽光に晒される悲惨な瞬間を絵画化して不朽のものとした。

*実際に絵の前に立って見ると、この絵の光は本当に眩しいです。絵に関するエピソードにも心打たれます。


Ⅴ 英国における新たな平和

このコーナーでは、ターナーがスポンサーの屋敷があるペットワースに招かれた時に描いたスケッチを元に制作した作品が主に展示されていました。

ペットワースは,ロンドンとスポーツマスのほぼ中間にある丘陵地帯で、当地のペットワース館を有する伯爵イーグルモント3世はターナーをはじめ、多くの芸術家のパトロンとなり、その館を自由な芸術的創造の場に供したとされています。
  ペットワース館に滞在中の1827年夏、ターナーは館の内外をブルーの紙に水彩でえがき,その数は135枚に達したそうです。

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    今はイギリスの観光名所になっているペットワースの館

         ペットワースの庭園の鹿 1827年
                   ペットワースの庭園の鹿 1827年

ペットワースハウス「オールドライブラリ」でテーブルに向かう男、1827年
     ペットワースハウス「オールドライブラリ」でテーブルに向かう男、1827年

   
 ターナーはこの館で、スポンサーからの求めに応じた絵を描くのではなく、自由なテーマで制作を行ったようです。絵からもゆったりとした感じが伝わってきました。


Ⅵ 色彩と雰囲気を巡る実験


 実験的とタイトルにもあるように、後に興る印象派の元祖のような作風。クロームイエローというターナーが好んだ黄色が沢山使われいます。当時は、カレーマニアと揶揄されたそうですが、私は、この時代のターナーの絵の雰囲気は、色合いや形が目に優しくてけっこう好きです。

      黄色い砂上の上の青い月影 1824年頃
                    黄色い砂上の上の青い月影 1824年頃


              三つの海景 1827年頃
                      三つの海景 1827年頃

  三つの別の海の景色を一枚の絵に積み重ねて描いたものだそうです。一番上と一番下は上下が逆さまです。どこが継目でそれぞれがどんな絵かは、会場へ行くと分かりますよ


Ⅶ ヨーロッパ大陸への旅行

ハイデルブルク 1844-45年頃
                         ハイデルブルク 1844-45年頃

 宗教戦争に敗れてオランダへ亡命してゆく冬王、フリードリヒ5世と妃エリザベス・スチュアートの悲劇を描いています。向かって左下に彼らの姿が見えますね。この絵も大きくて一際目立っていました。


Ⅷ ヴェネツィア


《ヴェネツィア、嘆きの橋》1840年
                  ヴェネツィア、嘆きの橋》1840年


 嘆きの橋とは、ドゥカーレ宮殿と囚人が収監される牢獄の間にかかる橋のこと。豪華な宮殿の前には牢獄の門。この対比が興味深く、少し哀しい感じがしました。


         《ヴェネツィア、月の出》1840年
                      ヴェネツィア、月の出 1840年

         ますます絵が幻想的になってきました。月の光を受けた水の色がメルヘンチックです。


「サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む」 1843年
           サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む」 1843年

  実際の地図では、サン・ベネデット教会はこの方向にはないそうですが、表現のためには”ない”ものを”ある”ように描いてしまうターナー、おそるべし!



Ⅸ 後期の海景図

海の惨事 1835年頃
                       海の惨事 1835年頃

 ロマン派のテオドール・ジェリコーの作品「メデュース号の筏」に影響を受けた絵。

メデューズ号は、1816年7月5日、今日のモーリタニア沖で座礁し、乗客のほとんどが救出までの13日間で死亡し、生き残った人も、飢餓、脱水、食人、狂気にさらされることになった。ジェリコーの作品はその様子を赤裸々に表わしている。この絵に影響を受けた画家たちも多く、ターナーもその中の一人。

     【参考】   
     メデュース号の筏 テオドール・ジェリコー
            「メデュース号の筏」 テオドール・ジェリコー 1818年


日の出 1835-40年頃
                         日の出 1835-40年頃

 1810年代から作られた「カラー・ビギニング(色彩のはじまり)」と呼ばれる習作群の中の一つ。ターナーは拭いたり、こすったり、洗ったりまでして、絵の具の新たな扱い方を見いだそうとしている。

 ターナーの手法の魔法でしょうか、絵の中から本当に光が溢れてくるようです。
      

Ⅹ 晩年の作品


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                         戦争、流刑者とカサ貝 1842年
            
    ナポレオン・ボナパルトの晩年を描いた作品。血で染まった戦場跡のように赤々と落陽する情景の中で、彼はあお貝(カサ貝)に視線を落としている。その姿は己の孤立(孤独)と栄光の終幕を観る者へ容易に連想させる。

  《平和——海上の儀式(水葬)》 1842年 
                       平和——海上の儀式(水葬) 1842年

 ターナーの友人で、異国からの旅の帰途に没した画家デイヴィット・ウィルキーの実際の葬儀をもとに描かれている。黒を多く使った船の描写は、当時のパトロンからも苦情が出て、評判は良くなかったそうだが、彼は「もっと黒を使っても使いたりない」とこの絵を描き上げたそうです。
 今では、この作品は、ターナーの晩年の代表作とされています。

 
 もし、興味がおありの人は、テート美術館のオンラインHPをご覧になって下さい。英語ですが”Joseph Mallord William Turner ”でsurch(検索)すれば、ほぼ、この美術館に展示してあるすべてのターナーの作品を見ることができます。家にいながらにして、ちょっとした芸術の旅に出かけた気分になりますよ。

テートオンライン(英語)
     

プーシキン美術館展に行ってきました


9/4(水)に横浜美術館で催されている「プーシキン美術館展」に行ってきました。


プーシキン美術館は、ロシアの首都モスクワの中心地に位置し、エルミタージュ美術館とならんで、世界的な西洋絵画コレクションを誇る国立美術館です。なかでも、エカテリーナ2世らロマノフ王朝の歴代皇帝や貴族、19世紀の産業発展で財をなしたモスクワの大富豪たちが収集した印象派からマティス、ピカソまで、屈指の名品を揃えたフランス近代絵画のコレクションは極めて高い水準を誇ります。

今回のプーシキン美術館展は、そのコレクションの中から17世紀の古典主義、ロココから19世紀後半の印象主義、ポスト印象主義の計66点を集めた展覧会です。

横浜美術館を訪れたのは、朝一の10:00でしたが、すでに美術館前には、観覧者の長い列が! 会期が9/16までとあって、やはり込み合っていました。それでも、鑑賞するのに困るほどではありませんでした。


では、その中から印象に残った数点を紹介してゆきましょう。

第1章 17・18世紀 古典主義、ロココ

入口を入って、間もないうちに目に飛び込んでくるのがこの絵です。

ニコラ・プッサン アモリびとを打ち破るヨシュア 1624-25年頃
ニコラ・プッサン アモリびとを打ち破るヨシュア 1624-25年頃

プッサンは17世紀フランス古典主義を代表する画家。この絵は、『旧約聖書』のなかで、モーセの後継者ヨシュア(画面左下)が「約束の地」カナンを征服する場面。ヨシュアは、征服の際に住民たちを皆殺しにしたとか


ジャン・パテスト・サンテール 蝋燭の前の少女1700年頃
ジャン・パテスト・サンテール 蝋燭の前の少女1700年頃

 サンテールは、ロココ美術萌芽期において特に評価された画家。蝋燭の淡い灯りに照らされた少女の優しい表が印象的でした。蝋燭というと、この展覧会には絵は出ていませんでしたが、古典主義のラトゥールを思い出しますが、サンテールの絵の方が温かな感じがしますね。

(参考)ラトゥール「悔悛するマグダラのマリア」 
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               フランソワ・ブーシェ ユピテルとカリスト 1744年
               フランソワ・ブーシェ  ユピテルとカリスト 1744年

18世紀ロココ芸術を代表するブーシェの作品。色彩が鮮やかですね。

女神ディアナの従者カリストを我がものにしようと、ディアナに扮して近づくユピテル。どんなに上手く女装しても、後ろに描かれた鷲の姿でユピテルだとバレてしまいます。
ユピテルを描いた神話画は沢山ありますが、ある時には”牡牛”、また、ある時には”金の雨”だったり、この「ユピテルとカリスト」では、”女装”と、欲望を満たすためのユピテルの変身には、驚かされてしまいます。さすがは全能の神!

         マルグリット・ジェラール 猫の勝利 1785年 
         マルグリット・ジェラール 猫の勝利 1785年

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       ユベール・ロベール ピラミッドと神殿 1780年頃


「猫の勝利」の作者、ジェラールは、ロココ時代の代表的な画家、フラゴナールの妻の妹で、フラゴナールに学んだ画家。いかにも、ロココ時代らしい、宮廷のサロン風の優美で可愛いらしい画風。

「ピラミッドと神殿」は、”廃墟のロベール”とも呼ばれ、廃墟画でも有名なロベールの作品。ギリシャの神殿風な建造物と、エジプトのピラミッド。同時には存在しない物を同一画面に描くことで、不思議な雰囲気を醸し出しています。廃墟画にしても、このような空想的建造物にしても、その中にロベールは、必ず一般人の姿を描きこんだそうです。鑑賞者を絵の世界に誘う効果を狙ってのことでしょうか。


第2章 19世紀前半 ロマン主義、新古典主義、自然主義


ロマン主義とは、優美なロココや教義的な神話をテーマとして扱った古典主義とは違をなし、抑圧されてきた個人の感情、「憂鬱」・「不安」・「動揺」・「苦悩」・「個人的な愛情」に移行していった画風。

また、新古典主義は、ロマン主義とはまっこう対立し、デッサンと形を重視し、理性を通じた普遍的価値の表現を理想とした。

自然主義では、理想化・空想化・美化しない、現実的描写。題材はミレーにみられるような農村の生活など、庶民を描いたものも好まれた。



              ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 聖杯の前の聖母 1841年
            ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 聖杯の前の聖母 1841年

新古典主義の巨匠アングルによる、聖母像の傑作のひとつ。アングルの描く女性の顔って本当に気品があって素敵ですね。マリアの後ろには、時の皇帝ニコライ1世とアレクサンドル皇太子をたたえるべく、2人と同名の聖人が描かれています。

ジャン・レオン・ジェローム カンタウレス王
             ジャン・レオン・ジェローム カンタウレス王 1859-60頃

伝説によれば、カンタウレス王は、自分の妻ニュッシア(別伝によればルド)の美しさを自慢するあまり、友人のギュゲスに妻の裸体を見させた。怒った妻はギュゲスに対し、自殺するか王を殺して王位と自分とを我が物とするかを迫ったという。
そのシーンをジェロームは、お得意の美しい女性裸体の後姿を用いて描いています。


      ドラロッシュ エドワード4世の息子たち

叔父により、ロンドン塔に幽閉された二人の兄弟の不安な表情が、哀しいですね。           
つい最近の2013年4月7日に、長年、行方が謎になっていたこの二人の遺骨が、実際にロンドン塔で見つかりました。

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            トマ・クチュール 仮面舞踏会後の夜食会 1855年頃 

 宴会後のけだるそうな雰囲気がよく出ていますね。見ているうちに、思わず笑みがこぼれてしまうような一枚です。 
   

第3章 19世紀後半 印象主義、ポスト印象主義 


印象主義の作品には、写実主義などの細かいタッチと異なり、光の動き、変化の質感をいかに絵画で表現するかに重きを置き、絵画中に明確な線が見られないことも大きな特徴である。また、それまでの画家たちが主にアトリエの中で絵を描いていたのとは対照的に、好んで屋外に出かけて絵を描いた。


クロード・モネ 陽だまりのライラック 1872-73年
   クロード・モネ 陽だまりのライラック 1872-73年

パリ郊外の町アルジャントゥイユの、モネが暮らした家での情景だと思われます。淡いピンクの色のライラックと木漏れ日の様子が、印象主義特有のタッチで描かれ、まるで空気までが揺れているよう。この絵は、特に好きな1枚でした。


           ピエール=オーギュスト・ルノワール ジャンヌ・サマリーの肖像 1877年
          ピエール=オーギュスト・ルノワール ジャンヌ・サマリーの肖像 1877年


「プーシキン美術館展」の宣伝で、イメージモデル? にもなっているジャンヌ・サマリーは、コメディ=フランセーズの花形女優で、1870年代後半のルノワールのお気に入りのモデルでした。当時の肖像画には珍しい暖色系のピンクの背景で、ルノワールの印象派時代最高の肖像画とも評されます。20歳になったばかりの蕩けそうなジャンヌの表情が魅力的です。

この絵の前には、さすがに人だかりができていました。あるTV番組で、ジャンヌの洋服の青が、斜めから正面に移動しながら観てみると、正面に行った時にふわりと浮き上がるように思えるって言ってました。確かに、そんな感じもしました。柔らかなタッチの光の表現が、ちょっとした魔法を使うのかも。


     ルイジ・ロワール 夜明けのパリ
     ルイジ・ロワール 夜明けのパリ 1880年後半ー1890年前半

ロワールは、ほとんど日本でも名前の知られていない画家の一人ですが、このプーシキン美術館展でじわじわと人気があがってきた絵で、横浜美術館の担当学芸員の松永さんのイチオシの絵でもあるそうです。
私はたまたま、横浜美術館を訪れた日の前日の朝日新聞の記事で、このことを知ったのですが、その記事の概要はこんな感じ。

 ”ルイジ・ロワールの「夜明けのパリ」は、百数十年前のパリの街角から、早朝の肌寒さや雨あがりの潤った空気が伝わってくるような逸品だ。だが、その画家は「新潮世界美術辞典」にも名前が載っていない。それが、今、見た者の心をつかみ、じわじわとファンを増やしている。横浜美術館の学芸員の永松さんは、その美しさの裏には、印象派の技法とともに、写真の影響をみる。ロワールは、写真にあらがわず、その特徴を巧みに採り入れることで、場の空気や光をリアルに表現することへのシフトを図ったというのだ”

その新聞記事の最後は、こんな風に締めくくってありました。

”会場では、この絵はくしくも印象派のスター、ルノワールの絵の隣に掛けられている。明るく楽しげなルノワールの横にあるロワールの静かに切り取った「夜明けのパリ」それが、あなたに見つけ出されるのを待っている”

 私は見つけ出せたと思います!


  フィンセント・ファン・ゴッホ 医師レーの肖像 1889年     ポール・セザンヌ パイプをくわえた男 1893-96年頃
   フィンセント・ファン・ゴッホ 医師レーの肖像 1889年       ポール・セザンヌ パイプをくわえた男 1893-96年頃


「医師レーの肖像」:
アルルでゴーギャンと共同生活をしていたゴッホは、いさかいがもとで自身の耳を切り、神経症の発作を起こして入院します。ゴッホは、そこで診療にあたった見習い医師フェリックス・レーの肖像画を描きました。けれども、この絵は医師には気に入られず、すぐに売却され、それがシチューキンの眼にとまり、ロシアへ渡ったそうです。医師は、売らなきゃ今頃大金持ちになれたのに……って、そういうお話ではないか。

「パイプをくわえた男」:
故郷エクス=アン=プロヴァンスの庭師をモデルに描いた「パイプをくわえた男」の連作のひとつ。後ろに、見えるのは手元だけですが、セザンヌ夫人の肖像画が掛けられています。左への傾きを強調した不安定な構図や、立体をあらゆる方向から平面的に捉える試みは、のちのキュビスムの誕生を予感させます。シチューキンがパリの画廊から購入した作品です。


第4章 20世紀 フォーヴィスム、キュヴィスム、エコール・ド・パリ



フォーヴィスムは、野獣派とも呼ばれ、感覚を重視し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現した。世紀末芸術に見られる陰鬱な暗い作風とは対照的に、明るい強烈な色彩でのびのびとした雰囲気を創造した。

キュビスムはパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始され、それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収め、ルネサンス以来の一点透視図法を否定した。

エコール・ド・パリは、「パリ派」の意味で、20世紀前半、各地からパリのモンマルトルやモンパルナスに集まり、ボヘミアン的な生活をしていた画家たちを指す。厳密な定義ではないが、1920年代を中心にパリで活動し、出身国も画風もさまざまな画家たちの総称。


           アンリ・マティスの《カラー、アイリス、ミモザ》 1913年 
           アンリ・マティス 《カラー、アイリス、ミモザ》 1913年

今回の展覧会のテーマは『人物表現』ですが、人物が描かれていない静物画はマティスの作品のみだそうです。この作品はマティスが1912〜1913年、モロッコを旅行した際に描いたカラーという花をモチーフとした2作品のうちの1作。対になるもう1点《花束(カラー)》は、エルミタージュ美術館に所蔵されています。


パブロ・ピカソ マジョルカ島の女 1905年 241900.jpg
パブロ・ピカソ マジョルカ島の女 1905年       パブロ・ピカソ 逢引(抱擁) 1900年頃

この2点は、ピカソの初期の「青の時代」から「バラ色の時代」へ移りかわるころの作品です。「マジョルカ島の女」には、青への強い思い入れが見てとれ、淡い青色で薄く塗られた背景や物憂げな女性の表情は、作品に深い情感を与えています。「逢引」は、一見しただけでも、絵の中の男女の情熱が伝わってくるようです。


              アンリー・ルソー 詩人に霊感を与えるミューズ 1909年
              アンリー・ルソー 詩人に霊感を与えるミューズ 1909年

詩人兼小説家ギヨーム・アポリネールと、その恋人ローランサンの肖像画。本作を描く際、ルソーはモデルであるアポリネールやローランサンの鼻、口、耳、額、身体など全身を巻尺で正確に採寸し、それら測定値を元に画面の寸法(大きさ)を決めたとされています。画面中央では、太陽神アポロンに付き従う諸芸術を司る9人の女神ミューズ(ムーサ)の中から、喜びや叙事詩を司るとされているエウテルペ(又は恋愛詩を司るエラート)に扮したローランサンが、詩人(本作ではアポリネール)に霊感を与えています。


           シャガール ノクターン
            マルク・シャガール ノクターン 1947年

赤く燃え盛るのは、故郷ベラルーシの町、赤い馬に乗る花嫁は愛妻べラです。妻の死、ナチスによる故郷の破壊。故郷を離れ、アメリカへ亡命、後にフランスに永住した「愛の画家」と呼ばれるシャガールのこの絵に、魅かれる人は多いことでしょう。


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                   フェルナン・レジェ 建設労働者たち 1951年

この絵が、最後の展示物で、縦3メートル、横2メートルという大きな絵でした。

レジェは第二次大戦の戦後復興の際に、機械の技術進歩が明日を幸せにするという考えからこの絵を描き、人間は人間として機械は機械として描くことで、リアルに20世紀の機械文明における人と機械のかかわり方についてを描いたのだそうです。子供たちに20世紀を代表する画家たちの作品を数点、見せたところ、レジェの作品が1番人気があったとか。このカラフルな色使いに、子供を引き付ける不思議な魅力があるのかもしれません。


横浜美術館でのプーシキン美術館展は、9/16まで開催されています。

また、ブログの中でも触れた、横浜美術館学芸員の松永真太郎さんのインタビュー記事がとても面白かったので、リンクを張らせていただきました。今回のプーシキン美術館展の解説の他、展示物の運送の苦労などの記事が掲載されています。


*日本初公開の作品も多数!あの画家の、あの名画に、会いに行こう。横浜美術館「プーシキン美術館展」横浜美術館学芸員の松永真太郎さんに聞く。

〈第1回〉「プーシキン美術館」ってどんなところ?」

〈第2回〉名画はどうやって運ばれてきたの?

〈第3回〉ここはかならずCHECKすべし!プーシキン美術館展
     

弥生美術館・竹久夢二美術館


 6/29(土)に東大、弥生門近くにある(ちなみに東大には門が9つあります)弥生美術館・竹久夢二美術館へ行ってきました。
 弥生美術館は、高畠華宵を始めとする明治、大正、昭和を彩る挿絵画家の作品と当時の美術作品を展示。竹久夢二美術館は、画家、詩人など多彩な才能を発揮した竹久夢二の〈夢二式美人画〉から、モダンな表現を試みたデザイン作品まで幅広い展示がなされている都内では唯一、夢二作品を観覧できる美術館だそうです。
 入口は、こじんまりしたいい感じの作りです。入口の横には夢二の作品のレリーフがありました。

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ちなみにこの2館は併設されていて、1枚のチケットで見れるのが魅力です。私は、面白くて、2館を結ぶ渡り廊下を行ったり来たりしてしまいました。


弥生・竹久夢二美術館の見取り図。行ったり来たり。
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 6/30で終了してしまったのですが、この日、私が見た企画は、

「魔性の女」挿絵(イラストレーション)展
  -大正~昭和初期の文学に登場した
                妖艶な悪女たち-


と題した、いわゆる西洋画の”ファムファンタル”=”魔性の女”をテーマとした作品を集めた展覧会で、怖く妖艶、そして美しい作品の勢ぞろいで、なかなか見応えがありました。

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特に興味を引いた画家と作品をいくつか紹介すると、

橘小夢(たちばな さゆめ):
1892-1970 大正-昭和時代前期の挿絵画家。
明治25年10月12日生まれ。洋画を黒田清輝(せいき),日本画を川端玉章にまなぶ。雑誌や小説の挿絵を中心に,版画,日本画を手がける。民話,伝説をモチーフに女性の魔性を表現,たびたび発行禁止処分をうけ,「幻の画家」とよばれた。

 玉藻の前                 刺青 谷崎潤一郎の小説がモチーフ  水魔
ph_1304_1.jpg ph_1304_2.jpg 橘小夢/画「水魔」

                   嫉妬
                 橘 小夢, “嫉妬

とくに上の「嫉妬」は、”本妻と側室が一見仲良さそうにゲームを楽しんでいるが、心の奥底には激しい嫉妬の情が渦巻いている”という解説があり、二人の女のどろどろした感情がこちらにも伝わってくるようで、本当に怖かったです。でも、この絵の線の描画の美しいこと! 本当に妖艶な魅力がありました。


高畠 華宵(たかばたけ かしょう):
1888- 1966 大正ー昭和初期の挿絵画家。ピアズリ―などの影響を強く受け、『少女画報』『少女倶楽部』『少年倶楽部』(いずれも講談社)『日本少年』『婦人世界』(いずれも実業之日本社)などの少女向け雑誌や少年雑誌、婦人雑誌などに挿絵として描いた独特の美少年・美少女の絵や美人画は一世を風靡し、たちまち竹久夢二らと並ぶスター画家となった。

弥生美術館は、創始者、鹿野琢見が9歳の時に華宵の絵を見て感銘を受け、その時の感動を綴った手紙を華宵に送ったことを切っ掛けに二人が親睦を深め、鹿野が華宵の死後に著作権を得たことを受けて創設した館でもあるそうで、華宵の作品を多く所蔵しています。
         
       人魚
 この「人魚」という作品は、西洋の絵本の挿絵のようで、私は1番好きな作品でした。この華麗な背中の反り具合と水にたゆとう髪。
 この絵の人魚は、可憐な感じがして悪女というイメージではありません。けれども、ローレライやセイレーンといった伝説では、人魚はその美しい歌声で船人を海に引きずり込むのですから、やっぱり悪女なのでしょうね。


薔薇の夢                             情炎        
高畠華宵 《薔薇の夢》 img_646024_24546620_0.jpg

この他にも、泉鏡花「高野聖」の女、谷崎潤一郎「痴人の愛」のナオミ、江戸川乱歩「黒蜥蜴」(くろとかげ)の緑川夫人など、沢山の官能的で怖いけれど、魅力的な女性たちの挿絵が展示されていて、鑑賞者たちを甘美な毒気に酔わせるようでした。

   黒蜥蜴のポスター                        伊藤彦造画 砂絵呪縛  
  kurotokage.jpg    「砂絵呪縛(すなえしばり)」伊藤彦造


                  水島爾保布画 人魚の嘆き

                 「人魚の嘆き」水島爾保布/画 


 さて、弥生美術館を経て、渡り廊下の向こうの竹久夢二美術館では、

 竹久夢二 美人画とモデル展
    ―描かれた女性の謎と
            ロマンスに迫る―


 を開催していました。ここでは、夢二が描き残した美人画の制作に当たって大きな影響を与えた、三人の女性、岸たまき・笠井彦乃・佐々木カ子ヨ(お葉)をクローズアップして、彼女らを描いた絵ともに、夢二の恋愛模様や理想とした女性像についての紹介がされていました。


まず、竹久夢二のプロフィールはこんな感じです。

竹久 夢二(たけひさ ゆめじ):
(1884 - 1934)は大正浪漫を代表する画家で日本の画家・詩人。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。

 数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれ、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、なかでも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりともいえる。

岸他万喜(きし たまき):
1882ー1945
夢二の生涯のうちで唯一戸籍に入った女性。〈夢二式美人画〉は「大いなる眼の殊に美しき人」といわれた「たまき」をモデルにして生まれた。
 夢二が彦乃を知った後に、たまきと画学生東郷鉄春(青児)との仲を疑い、富山県の海岸で夢二がたまきの腕を刺すことによって破局を迎え離婚。だが、その後数年間にわたって同居と別居をくり返す。また、たまきは結核療養中の夢二を信州まで見舞い、夢二亡き後も終生彼を慕い続けたという。気が強く、後には、夢二デザインの小間物をあつかう「港屋絵草紙店」の女店主となる。

         
        岸たまき                岸 絵
        岸たまき                         たまきの横顔 感じが出てますね。



笠井 彦乃(かさい ひこの):
1896-1920
日本橋の紙問屋の娘として裕福に育ち、女子美術学校の学生であった。夢二のファンであり、絵を習いたいと「港屋絵草子店」を訪問し、交際が始まる。
たまきと別れ京都に移り住んだ夢二としばらく同棲するが、九州旅行中の夢二を追う途中、別府温泉で結核を発病。父の手によって東京に連れ戻され、夢二は本郷菊富士ホテルに移るが、面会を遮断される。御茶ノ水順天堂医院に入院した彦乃は、わずか25歳で短い人生を終える。
夢二は、その死後しばらくショックから立ち直れなかった。「彦乃日記」をのこす。
 夢二の『秘薬紫雪』は夢二と彦乃がモデルであり、まさに美人薄命で、夢二の心に永遠に残る人。

                                      笠井彦乃
                                     笠井彦乃
              夏姿 彦乃
               夏姿  何か可愛い!

お葉:1904-1980

戸籍名は佐々木カ子ヨ(かねよ)「お葉」は夢二による愛称。
上京後、東京美術学校のモデルとして人気があった。藤島武二、伊藤晴雨らのモデルをつとめた後に、菊富士ホテルに逗留していた夢二のモデルとして通ううちに同棲、渋谷(現在の渋谷ビーム、同地に石碑あり)に所帯をもつ。1924年、夢二が設計した世田谷「少年山荘」に一緒に移り住んだ。一児をもうけるが夭折。翌14年に、彦乃のことを忘れなれない夢二を嘆き、お葉は自殺を図り、半年後に別離する。後、医師と結婚し主婦として穏やかな生涯を過ごした。
有名な夢二作品、『黒船屋』はお葉をモデルとした。


                                      お葉
                                     お葉
                 お葉 絵
                 黒船屋  この”夢二美人”を代表する絵は、お葉がモデル


 こうして挙げてみても、タイプも性格も三者三様でとても興味深いですね。共通点はみんな美人!

        artist_ph.jpg              Yumeji_Takehisa.jpg
 
 しかし、上の左の写真! 若かり頃の夢二ですが、窓辺に座り、美人画の構図でも考えているのでしょうか。このナルシストっぽさったら!(笑) 夢二自身も、彼の絵になりそうな美青年だったんですね。ちなみに右の写真は少し後の夢二。いつも、憂鬱そうなポーズをとっていますね。


 その他の作品のうちの何点かを紹介します。モダンなタッチの絵もあって、夢二ワールドは素敵でした。

雪の風
  冬の風

エイプリルフール
  エイプリルフール

   初春      「水竹居」
    初春                               水竹居



「宵待草」原詩 

 遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る
 待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心もとなき
 想ふまいとは思へども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな 


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■所在地:弥生美術館 〒113-0032 東京都文京区弥生2-4-3 TEL 03(3812)0012
       竹久夢二美術館 〒113-0032 東京都文京区弥生2-4-2 TEL 03(5689)0462

■開館時間:午前10時~午後5時(入館は4時30分まで)
■休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、展示替え期間中、年末年始
■入館料:一般900円/大・高生800円/中・小生400円

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・地下鉄千代田線「根津駅」1番出口より徒歩7分
・地下鉄南北線「東大前駅」1番出口より徒歩7分
・JR「上野駅」公園口より徒歩25分
     

~池田浩彰と少年少女名作文学の挿絵画家たち


 私が、池田浩彰の絵を最初に見たのは、子供の頃に父が買ってきてくれた「少年少女世界の名作文学」という全50巻の児童向けの本の挿絵でした。
 その本には、他にも伊藤彦造や、玉井徳太郎、山中冬児、久里洋二、伊勢谷邦彦、蕗谷虹児、……今を思えば錚々たるメンバーの挿絵が掲載されていたのです。監修が川端康成というだけに、内容的にも世界の名作のほとんどを網羅していたと思いますし、一つ一つの作品の雰囲気とぴったりで、素晴らしく綺麗な挿絵が沢山入っていて、それを見るたびにどきどきわくわくしたものです。
 ここに載せたのは、その中のごくわずかの挿絵です。これだけでも、ため息ものの充実度です。

        伊藤彦造「平家物語」
        平家物語


 玉井徳太郎「若草物語」
若草 玉   若草

                      若草4


    山中冬児「バンビ」                     山中冬児「ガリバー旅行記」
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   山中冬児 ガリバー旅行記                    
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    久里洋二「点子ちゃんとアントン」
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  伊勢谷邦彦「怪傑ゾロ」
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            蕗谷虹児「聊斎志異」
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            虹児


 ちょっと前置きが盛り上がってしまいましたが池田浩彰さんに話を戻すと、このAFTENOONTEAのブログで、前に少し、池田さんの絵に触れたところ、結構な頻度で「池田浩彰」でキーワード検索、アクセスしてくる訪問者が多い事に気づきました。やっぱり人気があるんだなぁと、けっこう嬉しくなってしまったので、情報が少ないながらも、自分なりに”池田浩彰”特集を組んでしまおうかなと!

ところが、池田浩彰さんの情報はとても少ないのです。もう亡くなられたということですが、ネットや本で調べたプロフィールは、

池田浩彰
 1925年、 大連(現在の中国の旅大市大連)に生まれる。独学で絵の道にはいる。
 ロシア占領下時代の建築物が並ぶヨーロッパをおもわせる街、大連で培われた美意識と、日本的なるものへの憧れ、東洋と西洋が結合したような永遠のボヘミアンを理想とする生き方の中で、ロマンチズムに満ちた画風が生まれた。



 解説には、昭和30年頃から多くの児童書や文学書の挿絵を描いたともあります。少年少女名作文学にもソビエト編に多くの挿絵を描いておられるのを見ると、プロフィールにロシア占領下時代を生き抜いてきたとあるのが頷けるような気がします。池田浩彰というと、お姫さまっぽい絵を想い浮かべてしまいますが、こんな骨太な挿絵もあるのです。

            ソビエト編4「若き親衛隊」  躍動感が凄いです! こちらに向かって馬が駆けてきそう。

            若き親衛隊2


若き親衛隊     若き親衛隊1



   こちらはソビエト編5の「ビーチャの学校生活」の挿絵です。こちらは児童書っぽい挿絵で可愛いですね。

   ビーチャの学校生活2     ビーチャの学校生活


             ビーチャの学校生活3



             日本編1「古事記」 
             天の岩戸に篭ってしまった天照大神を外に出すために踊る天宇受賣命(アメノウズメ)
             神楽の音が聞こえてきそうな感じがします。

           古事記1

古事記2   古事記


 もちろん、池田浩彰の真骨頂といえば、お姫様! 少年少女文学全集の他の挿絵には、こんな素敵な物が沢山あります。

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                「白鳥の王子」
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     「シンデレラ」
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        「人魚姫」
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池田浩彰さんの挿絵を少しだけ紹介しましたが、また、本棚の奥にしまってある分も追々載せてゆきたいと思います。
尚、下の国会図書館の検索サーチで、彼の挿絵のある本のサーチができます。参考まで。

国会図書館サーチ 池田浩彰

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kazanasi

Author:kazanasi
絵画、小説を中心に観たり読んだり、自作で作ったり。サブカル全般に興味があります。暖かい時期には山登りもします。アナログとデジタルの間を行ったり来たりしてる人間です。


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