乗鞍岳に行ってきました



 乗鞍岳は、岐阜県と長野県に跨がる標高3026mの日本で19番目に高い山で、日本百名山の1つでもあります。にもかかわらず、標高2702mの畳平までバスで行けるという何てオイシイ山! これは、ヘタレだけど、山好き人間にとっては出かけないわけにはゆかない。 というわけで、 8/16(日)~8/17(月)の日程で乗鞍岳に行ってきました。
 
       そうだ、乗鞍


 スタート地点は東京の新宿駅で交通機関は電車とバスを使用しました。

 最初の予定では、16日は登山はせずに乗鞍高原の名所の三滝(善五郎の滝、三本滝、親子滝)などをゆっくり探索して、乗鞍観光センターで一泊し、17日にご来光バスに乗って畳平でご来光を見てから乗鞍岳の最高峰、剣が峰を目指すという計画でしたが、天気予報をみると17日は雨
 急遽、予定を変えて16日に登山をすることにしました。

 8/16(日)は、お盆も最終日ということで人混みも一段落し、快晴の登山日和でした。
 ……が、新宿駅発で一番早く出発する午前7:00のスーパーあずさ1号に乗ってもJR松本駅で降車してから、乗鞍岳の登山口のある畳平(標高2702m)に到着するのに電車やバスを乗り継ぐと、午後1時頃になってしまうのです。
 観光センターへ戻る最終バスの時間が、夏は午後5時5分ということを考えると、登山開始から下山まで時間的にちょっと余裕がないなという感じがしました。


【今回使ったJR新宿駅から乗鞍岳登山口、畳平までのルート & 割安チケットの入手方法(H27年度夏ダイヤ)】

JR新宿駅7:00発 → JR松本駅9:39着 (中央線特急 スーパーあずさ1号) 
大人片道、¥6,896


松本駅10:10発 → 新島々駅10:40着(松本電鉄)大人片道、¥700                             
新島々バスターミナル10:55発 → 観光センター前11:42着(アルピコ交通バス 新島々~乗鞍高原線)大人片道、¥1,300
  
アルピコ交通バス 新島々~乗鞍高原線 時刻表
routemap[1]


観光センター前 12:00発(アルピコ交通バス 乗鞍高原~乗鞍山頂線) → 乗鞍山頂畳平12:50着 
 大人片道、¥1,450


アルピコ交通バス 乗鞍高原~乗鞍岳山頂線 時刻表

routemap[2}



 *注 時刻表には春、夏、晩秋ダイヤがあります。また、ご来光を見るための”ご来光バス”も観光センター前から出ていますが、どのダイヤもA:晴れの日ダイヤ、B:雨の日ダイヤで時間や出発の条件が違っているので注意が必要です。

 こうして調べてみると、鉄道やバスの運賃ってけっこうかかってしまいます。けれども、各交通機関では、お得な割引チケットが用意されているので、それを利用すればかなりの経費節約をすることができます。
 例えば、JR中央線特急は新宿→松本までの運賃が、¥6,896となっていますが、JRの”えきねっと”に登録し、”お先にトクだ値”を使って予約すればこの値段が35%オフになります! ただし、座席数が限られているので格安チケットは発売日初日でないと、取りにくいし(けっこうな争奪戦)、そして、普通に取るチケットより色々と制約が多いです)

お先にトクだ値とは?

 また、JR松本駅から乗鞍畳平までは、松本電鉄とアルピコ交通のバスをが2日間乗り放題、¥5,150の
2Dayフリーパスポートを入手すれば、かなりお得です。

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 前置きが長くなってしまいましたが、松本駅に降り立ってからは、さすがは観光地! 各交通機関の接続時間はきちんと観光客の移動のことを考えて設定されていますし、駅やバス停の係員さんの案内もすごく親切で、迷うことはまずないと思います。


 さて、ここからは、登山のことを書きましょう。
 午後1時に登山口の畳平に到着してから、あらかじめ買っておいたおにぎりを食べて登山口に向かいました。畳平にはレストランもありますが、なんせ午後からの登山なので、時間がありません。

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    畳平、鶴が池が見えています。看板の右側に登山口への道があります。

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 鶴が池を左に眺めながら大黒岳への道を進みました。約10分で富士見岳の麓に着きますが、ここは上に登らずに下の道を行きました。この辺りは舗装された歩きやすい道なので、辺りの風景や植物を眺めながらゆっくりとハイキング気分です♪
              
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 この雪渓を抱いた池が、不消ヶ池(きえずがいけ)で、一年中、雪が消えないという意味からこの名がついたようです。雪渓の裾がコバルトブルーに輝いています。すごく不思議な色なのです。

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        高山植物の女王と言われるコマクサが沢山咲いていました。
        かわいいピンクの花です。

 この道を20分ほど歩くと、富士見岳を降りた場所との分岐道に出ます。摩利支天岳へは向わずに左側の道を進み、乗鞍岳の最高峰、剣が峰への登山口を目指すのですが、この途中に左に見えてくるのが大雪渓で、スノボーをしている人たちがいることに驚いてしまいました。そういえば、新島々から畳平に来るまでのバス道(けっこうな山道)を自転車で登っている人が何人もいました。リアル弱虫ペダル! 信じられないくらいの体力だ!

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              この大雪渓でスノボ! 信じられん。

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    剣が峰への登山口です。ここからはけっこうなザレた岩道で、ガイドブックなどでは、スニーカーやトレッキングシューズでも大丈夫と書いてあったりもしますが、あれは嘘だと思ってた方が無難。しっかりした登山靴でないとかなり苦労すると思います。ここから頂上の剣が峰まで、だいたい50分ということでしたが、ここに来るまでに景色を楽しんだり、写真を撮ったりで時間を使いすぎたことで、後で大焦りすることに

 とはいえ、上にゆくにつれて眺めはますます絶景になって、ため息ものの壮大さと美しさでした。

 登山口からしばらく登って右側(山頂の西側)に見えてくる池は権現池です。この池は、高天ヶ原火山体の活動終期に形成されたコバルトブルーの火口湖で、御嶽山のニノ池に次いで日本で2番目の高所にある湖沼だそうです。鏡のような表面が神秘的で、何だか素敵ですね。この日もお日様の光を受けて、水面がきらきらと輝いていました。

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 しかし、思っていたより剣が峰への道は険しかったです。気温も上にゆくほど急激に下がって風も強くなります(この日は10℃~13℃くらいでした。汗をかいた後に風を受けると本当に体が冷えてヤバいです。着替えとウィンドブレーカーは絶対に持ってゆきましょう)事実、スニーカー履きで軽装の若い男の子は靴の底がとれてしまって、こんなはずじゃなかったって顔をしてました。
 少し登っただけで、息もきれるし、空気の薄さを実感しました。いくら楽に登れると銘打ってあっても、さすがは3000m級の山。ナメてたらあかんぜよ!

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 真正面に薄く見えているのが、焼岳2455m。その手前が上高地です。お天気が良ければ、焼岳の後ろに槍が岳が見えるそうですが、この日は雲に隠れていました。しかし、乗鞍岳からの景色って空気までがブルーに染まっているような透明な蒼色をしているんですよね~。この不思議な美しさは3000mの高さでしか味わえないものなのかも知れません。

  登山 修正版
  つかれた~一休み

  上に頂上っぽいピークが見えてきて、やっと剣が峰か!?と思いきや、これは蚕玉岳(こだまだけ)↑剣が峰はここからさらに登ること30分です。


  そして、やっと見えてきました。これが剣が峰↓ ひゃ~っ、あの頂上まで登るの!?って叫びたくなるくらいの絶景です。山の上に天照大神などを祀った乗鞍本宮のお社が見えますね。早く登ってお参りせねば。
 それにしてもお天気のいいこと。空が真っ青でした。
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 剣が峰に到着した後には、乗鞍本宮にお参りもして、頂上からの景色にしばし見とれてしまいました。権現池のコバルトブルーといい、乗鞍岳の空気は本当に”蒼”。この色は同じ3000m級でも、富士山とはまた違う透明さです。

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          ブルーに染まる乗鞍岳、
         
 
 乗鞍本宮にも参ったし、そろそろ下山の時間です。
 剣が峰への道をナメていたせいで、登りに結構、予定よりも時間がかかってしまいました。宿舎がある観光センターへの
 バスが出る最終時間は午後5時5分(秋ダイヤでは午後4時5分)です。懸命に大岩の下山道をとにかく大急ぎで下りてゆきました。ひぃひぃ言いながら、登山口まで降りると、そこにある山小屋で一泊されるのでしょうか、初老の男性がベンチに一人、座って
落ちる夕陽を悠々と眺めていました。
 この日は珍しく午後になっても霧が上にあがってこないで、夕陽に照らされた乗鞍岳も綺麗でした。……がしかし、もうカメラを向けてる時間はないのだ。ば、バスが出る~。
 そこから先は舗装された道なので、とにかく、畳平のバスターミナルに向かって、歩く歩くっ!! 下にはその建物が見えているのですが、富士岳分岐に着いた時が、午後4時45分。

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   超急いだ下山ルートです。(といっても登りと同じですが)目標の建物が目に見えているだけに、遠く感じる。
   結果は、なんと、5時4分。最終バスの出発時間の1分前にターミナルに到着できました!!
   係員のおじさんに、「観光センター行きのバスに乗る?」と尋ねられて、即座に「乗りますっ!!」と答えて、バスに乗り込みました。下山での時間の戦いは疲れましたが、お天気は終始快晴で、素晴らしい景色も堪能できて、乗鞍岳は最高の山でした。

 ***
 宿舎は、乗鞍観光センターのバス停から徒歩2分の「ペンションサウスコル」でした。
 アットホームな造りで、美味しいごはんと、白湯の天然温泉があります。
 料金も1泊、ツィン、夕食のみコースなら大人2人、¥16,800でリーズナルブルで、客室の雰囲気もよくベッドの寝心地も良かったです。

 ペンション  ホテル

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   おいしそうな夕食。特に特製のグラタンは濃厚なチーズ味が最高。……が、ここで予期せぬ悲劇が! 何と山酔いしました(下りで体のアップダウンを繰り返した結果、酔ってしまった。自分の体の揺れで酔ってしまうとは~)そして、この美味しいご飯を一口も食べれなかった
 後で部屋で一寝入りして、気持ちのいい温泉に入ったら、気分はすっかり良くなりましたが、すでに食事時間は終わり、この御馳走を食べれなかったことだけが心残りでした。夕食は山での行動食に持っていったクッキーだけという悲しい結果に。宿舎自体はすごく快適だったので、ぜひ、またいつかこのペンションに泊まって、夕食リベンジしたいです。
 
 1泊した次の日の8/17は、天気予報の通りの雨でした。
 今回は、ご来光バスに乗るのは諦め、バスの係員さん曰く、「朝、見てきたら、滝はヤバいくらいの水量で迫力満点だけど超危険」というお言葉を聞いて、滝巡りも止めて、松本駅に戻って町や松本城を少し探索して東京に帰ることにしました。

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     松本城に着いた時には、小雨になっていたので、お城の廻りやお堀の鯉を見たりしました。松本の町は綺麗で、
     町の人やお店の人も観光客に慣れているようで、すごく親切でした。
     今回は半分、雨に降られてしまいましたが、乗鞍の剣が峰に登頂するという目的は達成できたので、大満足の旅でした。
     次は、絶対、ご来光を見てみたいです。上高地の方にも足を伸ばすのもいいなと思っています。

     

降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男 ~弥生美術館



 1月22日(水)に、東京都文京区 千代田線根津駅から徒歩7~8分、東大 弥生門前にある弥生美術館へ行ってきました。
今回の目的は、待望していた昭和初期の挿絵画家、伊藤彦造の展覧会を見ることです。

    ”降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男” 

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 えらく大げさなタイトルがついていますが、これは決して大げさじゃない。そのくらい、この伊藤彦造という画家が描く絵(ペン画)、は、死の覚悟があり、鬼気迫り、神々しく、かつ繊細、優美でもあります。
そして、プロフィールがまた、驚きで、

 1904年(明治37年)に、剣豪伊藤一刀斉の末裔に生まれた。橋本関雪に日本画を学ぶと、大正14年に「大阪朝日新聞」掲載の番匠谷英一「黎明」の挿絵でデビューする。
 幼いころから剣術に親しみ、少年時代には修行に真剣を用いたという。また、自らの腕を切り、その血で絵を描いたこともある。
「心は画人ではなく武人」と語った異色の画家であり、主に剣劇シーンの挿絵が多いが、川端康成監修「少年少女世界の名作文学」では、ギリシャ神話、ロシア童話などの繊細な挿絵も手掛けるなど、今でもその才能に魅かれるファンは多い。
 昭和40年代まで「少年倶楽部」「キング」などで活躍したが、70代で視力の衰えのため画業を引退、平成16年(100歳)で老衰で死去。



 私が伊藤彦造の挿絵を知ったのは、「少年少女世界の名作文学」の繊細なペン画で、長年、彼の挿絵が好きでたまらなかったにも関わらず、実はそのプロフィールも剣劇画が作品の主流であることもほどんど知りませんでした。ですから、今回、弥生図書館に出品された数々の挿絵や説明を見た時には、この人って、こういう画家だったのかと、目から鱗が落ちる思いがしました。
 今回の展覧会で、私は、ますます、彦造の絵が好きになったわけですが、弥生図書館で伊藤彦造の展覧会が行われたのは、平成3年、6年、11年、15年、18年に続いて6回目だそうです。それだけ、ファンが多いのでしょうし、それも頷ける気がします。



 展示作品は、沢山ありましたが、その中からいくつかを紹介すると、

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                               曽我五郎時致 
 *曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)は、建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つである。

 曽我五郎のこの挿絵には色気がありますね。心に宿した覚悟が凛と表情に現れて……凝視していると、口元から彼の決意の言葉が聞こえてくるようです。


 また、彦造は、自分の門下生にポーズを取らた写真を下地にして、剣劇の挿絵を描くこともあったそうです。それによって、場の臨場感をさらに高めようとしたのでしょう。今回の展覧会には、それらのポーズ写真が7点展示されています。


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 下地の写真 門下生にポーズを取らせています。         昭和6年6月号の『日本少年』付録、「飛沫」    
                                       左の写真と同じポーズをとっています。
                                                         
                                                       


ジャガーの眼
 「豹の眼」 昭和3年~ 「少年倶楽部」 高垣眸 著

 *ジンギスカンの血をひく日本人・黒田杜夫(モリー)と清王朝再興を目指す秘密結社「青竜党」の娘・錦華が、悪のジャガーが率いる秘密結社“豹の眼”とのジンギスカンの隠し財宝争奪戦に挑むという話。モリーと錦華が危機に陥ると、正体不明の正義のジャガーが現れ2人を助けてくれる。



阿修羅天狗
昭和26年2月号の『冒険活劇文庫』に掲載された作品 「阿修羅天狗」野沢純 著

*幕末を舞台に、正義の覆面剣士・修羅が活躍する活劇で、下の挿絵の登場人物の一人、美少年・伊織が素敵です。
 父の仇の紫頭巾をつけ狙っているのに、いつもその紫頭巾の助けられてしまう少年伊織。そういう展開って、いつの時代でも心魅かれるものです。しかし、彦造の描く美少年は、どの作品も色っぽいなぁ。


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       少年 伊織                   アップです。美人だ。


*展覧会場には、彦造が挿絵を描いた新聞小説「修羅八荒」などの作品のコピーを同好会の方がファイルに束ねた資料を見ることもできて、思わず椅子に座りこんで見いってしまいました。昔の資料でもちゃんと残っているんですね。
 


  挿絵:伊藤彦造、行友李風「修羅八荒」(朝日新聞、1925〈大正14〉年)       t02200410_0800149111585905346.jpg
    行友李風著「修羅八荒」より(朝日新聞、大正14年)


 また、彦造は自らの腕を傷つけ、画を描いたという話は前述しましたが、満州事変の翌年、昭和7年28歳にして自らの血で「神武天皇御東征の図」を描き陸軍大臣・荒木貞夫に贈り、さらに翌年ペンで国に尽くそうと「大日本彩管報国党」を結成したそうです。
 芸術家、それもこんなに繊細なペン画を描きながら、武人って、つくづく異色のプロフィールですね。



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    腕を傷つけ、画を描くための血を絞り出す彦造        自らの血を混ぜて描いた「神武天皇御東征の図」        
    失血のためにふらふらになってしまったとか(驚!)




              「杜鵑一声」は昭和四年
                 昭和4年 「杜鵑一声」(とけんいっせい)              

            *昭和天皇大阪行幸の折り、天覧になった作品。杜鵑(とけん)は、ホトトギスのこと。
             少年剣士が月の光をバックに日本刀を掲げ、立志の心を誓っているといったシーンでしょうか。


               「運命の剣」少年倶楽部、s4、3月号
                       昭和4年 「運命の剣」 少年倶楽部3月号  

 *15歳で新撰組に入隊し、その若さゆえ、小姓として副長の土方歳三の世話係をこなしていた少年、市村鉄之助をモデルとした小説。鉄之助は、死を覚悟した土方の命を受け、その遺品を届けるために五稜郭を脱出し、土方の故郷・日野(東京都日野市)に向かったというエピソードの少年です。



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                  渡辺綱による羅生門での鬼退治の場面。
                  昭和24年11月号 『冒険活劇文庫』の折込口絵 「羅生門」
                  *渡辺綱による羅生門での鬼退治の場面。


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                         「角兵衛獅子」
                   大佛次郎著 「鞍馬天狗」の中の挿絵


 弥生図書館での”降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男”での作品を紹介してきましたが、ここからは、私が大好きな「少年少女世界の名作文学」の挿絵の中からピックアップして伊藤彦造の作品を載せてみました。
 「少年少女世界の名作文学」は、1965年から1967年まで、毎月発行されていた世界の名作の数々を掲載した全50巻の児童文学書で、名作といわれる世界の児童文学をほぼすべて網羅し、作品のみならず、翻訳、挿絵、装丁ともに素晴らしい本でした。
 詳しくは、私のブログの他の記事にも載せてありますし、そちらでも伊藤彦造を紹介していますので、興味のある方は、そちらも見て下さいね。
   ↓
本と挿絵
池田浩彰と少年少女名作文学の挿絵画家たち
     

 ☆「少年少女世界の名作文学」での伊藤彦造の作品

             平家物語
                          平家物語


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                   平敦盛 
 *熊谷次郎直実が、17歳の敦盛の姿に我が子を重ね、「助けまいらせんと存じ候へども、味方の軍兵-ぐんぴょうー雲霞のこどく候ふ。よものがれさせ給はじ。人手にかけまいらせんより、同じくは直実が手にかけまいらせて、後の御孝養をこそ仕候はめ」と言って、敦盛の死後の供養を約束し、泣く泣く首をとった話に、しんみりとさせられたものです。


平家物語3
                    


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                   山椒大夫 安寿と厨子王           

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                                  山椒大夫


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                    主人公のジェロームとアリサ

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                             狭き門 
              ”狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし”

 新約聖書のマタイ福音書第7章第13節。すなわち困難であっても多数派に迎合せず、救いにいたる生き方の喩え。ノーベル賞作家、アンドレ・ジッドの作品です。彦造の挿絵がよく合ってますね

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             ロビンソンクルーソ

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                      ホメロス神話


 上に載せたのは、ほんの一部ですが、ファンタジー色の強い、また西洋画のようなタッチの挿絵も彦造は描けたのですね。まったく、凄い才能としか言いようがありません。


 ”降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男”展は、3/20まで、文京区 弥生美術館で開催されています。弥生美術館に併設されている竹下夢二美術館も同じチケットで見ることができます。渡り廊下でつながった二館を見るのも、面白く、この美術館は、私はけっこう気に入っています。

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 ”降臨! 神業絵師 伊藤彦造という男”

  会 期: 2014年1月3日(金)~3月30日(日)

  開館時間: 午前10時~午後5時
 (入館は4時30分までにお願いします)
  休 館 日: 月曜日

  料   金: 一般900円/大・高生800円/中・小生400円
  (竹久夢二美術館もご覧いただけます)
                 

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

     

小説家になろう 冬の童話祭2014

創作小説サイト 小説家になろうで開催されている「冬の童話祭2014」に2作品を投稿しました。

「小説家になろう 冬の童話祭2014」のサイトはこちら
  ↓






 昨年もこのお祭りに参加させてもらって、毎年、楽しみにしているのですが、今年は作品のランダム表示がなくなってしまって、読んでもらえる機会が減ってしまったのが残念。

投稿した作品は、以下の通りです。2つとも、もみの木をモチーフにしたクリスマスが舞台のお話になってます。


もみの木と彗星と魔法の粉
http://ncode.syosetu.com/n8841bx

【あらすじ】
クリスマスの日に、森の動物の子どもたちは、もみの木をきれいにかざりつけました。けれども、暗い夜には、せっかく作ったクリスマスツリーが見えなくなってしまうのです。そこに、たまたま、森を訪れていたコメットハンター(彗星探索家)の男が彗星の粉を取り出して……。

雰囲気は、まさにムーミン谷。コメットハンターのモデルはスナフキン!(笑)
クリスマスの日の森のちょっとした出来事を童話にしてみました。


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ピータバロ5 樅の木の秘密~secret ornaments

http://ncode.syosetu.com/n4412ca/50/


【あらすじ】
 悪徳な美術学校だったピータバロ・シティ・アカデミアを元の名門校に戻すことに成功したお金はないが、才能溢れる青年画家のキースと、セレブなお嬢様のミルドレッド。けれども、キースには、クリスマスに彼からのプロポーズを待つミルドレッドの期待に答えるという難問が待ち構えていた。ピータバロ4~Last touch~最後の仕上げ から4ヶ月後の話です。

 すでに「小説家になろう」に投稿済みの「ピータバロ」シリーズの5話目。
 童話というより、恋愛ティストが高い作品です。

 お嬢様のミルドレッドへのプロポーズに迷った、画家のキースが、思考錯誤の上で選んだのが、キャンバスに描いたもみの木に、ミルドレッドと一緒に、クリスマスツリーのオーナメントの意味を考えながら、描き入れてゆこうという方法。
 絵本風にお話をすすめてあります。さて、キースとミルドレッドのクリスマスの結末は?

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 ”冬の童話祭2014”は、2/13まで開催されています。
 大きな賞や、ランキングなどがない、お祭りっていう趣旨がいいですね。

 会期が終わっても、作品は残りますので、よろしければ、ご一読くださいね。
     

秋の詩仙堂



11/30(土)に、京都、左京区にある詩仙堂に紅葉を見に行ってきました。

京阪出町柳駅から叡山電車を利用。一乗寺駅下車、徒歩13分というルートを選びましたが、この叡山電車がなかなか良い感じでした。

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 電車内の窓がとても大きく、外の景色がよく見渡せるのも良かったし、一乗寺駅では、駅員さんから直接切符を買ったり、降車の時は渡したり、それが自動改札に慣れた私には新鮮で、駅員さん自体が景色の一部になってる感じがしました。こういう場所では、やはり機械より人がいいなぁ。

さて、坂道を上ってたどり着いた詩仙堂は、徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘で、正確には凹凸窠 (おうとつか) というそうです。

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     詩仙堂の入口 小有洞(しょうゆうどう)の門

 凹凸窠とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、丈山は詩仙の間を含め建物や庭の10個の要素を凹凸窠十境と見立てました。また、丈山は、林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から詩家36人を選び、狩野探幽によって描かれたその肖像を詩仙の間の四方の壁に掲げました。


 堂内は、撮影禁止でしたが、玄関で靴を脱いで中へ入ることができます。この日は土曜日とあって、観光客も多く、皆さん、縁側に座りながら紅葉が美しい庭を鑑賞していました。

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          堂内から見た庭                        紅葉が綺麗です


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              読書室である詩仙の間には、狩野探幽によって描かれた36詩家の肖像画が       


 堂内を見学した後は、また玄関に戻り、靴を履いて次は庭を鑑賞することができます。紅葉が一番綺麗な時でしたので、庭の景色は別格の美しさ。ちょっとした別世界を垣間見た気分になれました。


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           詩仙堂見取図                   庭から見た嘯月楼(しょうげつろう)


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                               紅葉の美しさが目に浸みます


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          地面に落ちた落葉も色とりどりの絨毯のようです

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 詩仙堂は、紅葉の時期の他は、五月のサツキも美しいそうです。修学院も近いし、また、その頃になったら再び京都を訪れてみようかな。

 【詩仙堂アクセス】
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 住所:京都府京都市左京区一乗寺門口町

  拝観時間/営業時間:9:00-17:00
  拝観料・料金:500円

  バスでアクセス: 市バス5,特5番で「一乗寺下り松町」下車徒歩5分
  電車でアクセス: 叡山電車「一乗寺駅」下車 徒歩13分
     

ターナー展に行ってきました



11/14(木)に上野の東京都美術館にターナー展を見に行きました。

上野公園は、紅葉も始まり風景はすっかり秋仕様で、美術鑑賞にはぴったりの季節になりました。

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   青空に紅葉が映えて綺麗でした。 奥に見えるのは国立博物館

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さて、今回のターナー展ですが、ロンドンのテート美術館から、油彩画の名品30点以上に加え、水彩画、スケッチブックなど計約110点を展示し、英国最高の画家として西洋絵画史上に燦然と輝く風景画の巨匠、ターナーの栄光の軌跡をたどる企画だそうです。私が行ったのは、平日のお昼くらいでしたが、それほど混みあっているほどではなく、丁度良いくらいの観覧者数でした。

 ターナーは1775年、ロンドンに生まれました。幼い頃から優れた水彩画に画才を発揮し、後には油彩も始めて、弱冠26歳にして、ロイヤル・アカデミー(王立芸術院)の正会員になります。
 崇高の美を追求し、また、光と色彩が溢れる幻想的な画風は、クロード・モネをはじめとする後のフランス印象派の画家たちにも大きな影響を与えたとされます。日本では、夏目漱石が愛した画家としても有名で、また、イギリス映画の007で、J・ボンドが待ち合わせに使ったのが、テートギャラリーのターナーの絵の前だったり、世界的にも愛されている画家です。

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                ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)
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今回の展覧会は、Ⅰ「初期」~Ⅹ「晩年の作品」に年代順に分けての展示がされていましたが、その中で印象に残った絵を紹介したいと思います。

Ⅰ初期

月光、ミルバンクより眺めた習作 1797年
          月光、ミルバンクより眺めた習作 1797年

ターナーが若い日々を送ったミルバンク。穏やかなテムズ河の様子が伝わってくる作品。暗い夜の景色に浮かび上がる月光の明るさが印象的。


Ⅱ「崇高」の追求

バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」1798年
     バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」1798年

1797年にイングランド北西部を旅したターナーは、多くのスケッチを描き、移り変わる天候や光の描出に力を注いだ。

「堂々たる儚い弓が/壮大にそびえ立ち、ありとあらゆる色彩が姿をあらわす」


 これは、ターナーがこの絵にそえた、落日を迎えた山並みに突如かかる虹を歌ったジェイムズ・トムソンの詩句「春」からの数行です。
         

ターナーの肖像 1852年
                 グリゾン州の雪崩 1810年

ペインティングナイフを駆使した絵肌が、雪崩のすさまじい迫力を伝えている。
 この絵は、実際にグリゾン州で25名の犠牲者を出した雪崩の事故を元にして描かれているが、人の姿はどこにもなく、極端に強調された遠近法や、飛び散る岩石などが、自然の猛威をあらわし、ターナーがそれに「美」に劣らぬ「崇高」を見出そうとした時期の作品。

*迫力があって、会場でもこの絵はよく目立ちました。


Ⅲ 戦時下の牧歌的風景

                「絵画のための習作集、アイズルワース」スケッチブック 1805年頃
               絵画のための習作集、アイズルワース」スケッチブック 1805年頃

     *ハードカバーの本くらいのサイズの小さなスケッチブックに、この細密画です。ターナーって凄い!
       当時のパトロンに、制作前に見せるために、このようなスケッチを何枚も描いていたようです。


   チャイルド・ハロルドの巡礼ーイタリア、1832年
           チャイルド・ハロルドの巡礼ーイタリア、1832年

澄んだ青空の下で踊る人々。遠方には古代ローマ時代の廃墟。17世紀の画家、クロード・ロランの構図にならったこの横幅約2.5mもある作品の中でひときわ目をひくのは、傘のように枝を張った松だ。
 実は、この絵のことを、文豪の夏目漱石が、小説「坊ちゃん」の中で、教頭の赤シャツと画学教師の野だいこの台詞として取り上げている。彼らは、小さな島に生える松を眺めてこんな会話をしている。

「あの松を見給え。幹が真っ直ぐで、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だいこにいう…中略)…すると、野だいこが、どうです教頭、これからあの島をターナー島と名付けようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、われわれはこれからそういおうと賛成した」 

四十島
 二人の会話のモデルになったといわれている松山市の名称「四十島」。
 地元では、今も「ターナー島」の愛称で親しまれているそうです。地元有志で作った「ターナー島を守る会」もあるそうで。

 また、英文学を学び、英国留学の経験のある漱石は、評論「文学論」の中で、

 - かのTurner(ターナー)の晩年の作を見よ。彼が画(か)きし海は燦爛として絵具箱を覆したる海の如し -  

 と、ターナーに賛美を送っています。特に、ターナーと同世代に生きた英国の詩人バイロンの物語詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」をモチーフとした同タイトルの絵は、漱石の興味を引いたのでしょうね。
 
                                        (朝日新聞、11/17の記事より)




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      スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船 1808年

ターナーは、ナポレオン戦争を契機に海戦の主題に興味を抱き、いくつかの大作を手掛けている。本作は1807年に英国とデンマークが衝突し、降伏したデンマーク軍艦の護送の様子を描いている。


Ⅳ イタリア

ラファエロ
 ヴァティカンから望むローマ、ラ・ファロナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ 1820年

 幅3メートルを越える大きな作品で、ルネサンス期を代表する偉大な画家ラファエロを讃えるもの。

 ターナーがこの作品を発表したのは、折しもラファエロ没後300年にあたり、ターナーは、16世紀にラファエロと弟子たちが装飾をほどこしたサン・ピエトロ広場を見下ろす優雅な回廊に、ラファエロ本人を、その右側には「ラ・フォルナリーナ」(パン焼き娘)の名で知られる、恋人でミューズであったマルゲリータ・ルティの後ろ姿を描いた。
 ラファエロの周りに様々な美術品が並んでいるのは、絵画、素描、彫刻、建築設計の広い分野に発揮した多才ぶりを讃えるもので、また、この絵を描くことで、ターナーは自分自身も技を究めた名匠であり、ラファエロの衣鉢を継ぐ者であることを世間に示そうとした。

*絵の中央に、先に上野の国立西洋美術館の「ラファエロ展」にも展示された「聖母子」の絵もありますね
             ↓
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         ラファエロ「聖母子」



            ターナーの肖像 1852年
                         レグルス 1828年(1837年に加筆)

 古代ローマの将軍マルカス・アティリウス・レグルスは、第一次ポエニ戦争(紀元前264-241年)でカルタゴの捕虜となった将軍。
 伝説によると、レグルスは暗い地下牢に閉じ込められ、瞼を切り取られる。その後、牢獄から引きずり出され、陽光に当たり、失明する。ターナーは瞬きしないレグルスの目が眩いばかりの陽光に晒される悲惨な瞬間を絵画化して不朽のものとした。

*実際に絵の前に立って見ると、この絵の光は本当に眩しいです。絵に関するエピソードにも心打たれます。


Ⅴ 英国における新たな平和

このコーナーでは、ターナーがスポンサーの屋敷があるペットワースに招かれた時に描いたスケッチを元に制作した作品が主に展示されていました。

ペットワースは,ロンドンとスポーツマスのほぼ中間にある丘陵地帯で、当地のペットワース館を有する伯爵イーグルモント3世はターナーをはじめ、多くの芸術家のパトロンとなり、その館を自由な芸術的創造の場に供したとされています。
  ペットワース館に滞在中の1827年夏、ターナーは館の内外をブルーの紙に水彩でえがき,その数は135枚に達したそうです。

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    今はイギリスの観光名所になっているペットワースの館

         ペットワースの庭園の鹿 1827年
                   ペットワースの庭園の鹿 1827年

ペットワースハウス「オールドライブラリ」でテーブルに向かう男、1827年
     ペットワースハウス「オールドライブラリ」でテーブルに向かう男、1827年

   
 ターナーはこの館で、スポンサーからの求めに応じた絵を描くのではなく、自由なテーマで制作を行ったようです。絵からもゆったりとした感じが伝わってきました。


Ⅵ 色彩と雰囲気を巡る実験


 実験的とタイトルにもあるように、後に興る印象派の元祖のような作風。クロームイエローというターナーが好んだ黄色が沢山使われいます。当時は、カレーマニアと揶揄されたそうですが、私は、この時代のターナーの絵の雰囲気は、色合いや形が目に優しくてけっこう好きです。

      黄色い砂上の上の青い月影 1824年頃
                    黄色い砂上の上の青い月影 1824年頃


              三つの海景 1827年頃
                      三つの海景 1827年頃

  三つの別の海の景色を一枚の絵に積み重ねて描いたものだそうです。一番上と一番下は上下が逆さまです。どこが継目でそれぞれがどんな絵かは、会場へ行くと分かりますよ


Ⅶ ヨーロッパ大陸への旅行

ハイデルブルク 1844-45年頃
                         ハイデルブルク 1844-45年頃

 宗教戦争に敗れてオランダへ亡命してゆく冬王、フリードリヒ5世と妃エリザベス・スチュアートの悲劇を描いています。向かって左下に彼らの姿が見えますね。この絵も大きくて一際目立っていました。


Ⅷ ヴェネツィア


《ヴェネツィア、嘆きの橋》1840年
                  ヴェネツィア、嘆きの橋》1840年


 嘆きの橋とは、ドゥカーレ宮殿と囚人が収監される牢獄の間にかかる橋のこと。豪華な宮殿の前には牢獄の門。この対比が興味深く、少し哀しい感じがしました。


         《ヴェネツィア、月の出》1840年
                      ヴェネツィア、月の出 1840年

         ますます絵が幻想的になってきました。月の光を受けた水の色がメルヘンチックです。


「サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む」 1843年
           サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む」 1843年

  実際の地図では、サン・ベネデット教会はこの方向にはないそうですが、表現のためには”ない”ものを”ある”ように描いてしまうターナー、おそるべし!



Ⅸ 後期の海景図

海の惨事 1835年頃
                       海の惨事 1835年頃

 ロマン派のテオドール・ジェリコーの作品「メデュース号の筏」に影響を受けた絵。

メデューズ号は、1816年7月5日、今日のモーリタニア沖で座礁し、乗客のほとんどが救出までの13日間で死亡し、生き残った人も、飢餓、脱水、食人、狂気にさらされることになった。ジェリコーの作品はその様子を赤裸々に表わしている。この絵に影響を受けた画家たちも多く、ターナーもその中の一人。

     【参考】   
     メデュース号の筏 テオドール・ジェリコー
            「メデュース号の筏」 テオドール・ジェリコー 1818年


日の出 1835-40年頃
                         日の出 1835-40年頃

 1810年代から作られた「カラー・ビギニング(色彩のはじまり)」と呼ばれる習作群の中の一つ。ターナーは拭いたり、こすったり、洗ったりまでして、絵の具の新たな扱い方を見いだそうとしている。

 ターナーの手法の魔法でしょうか、絵の中から本当に光が溢れてくるようです。
      

Ⅹ 晩年の作品


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                         戦争、流刑者とカサ貝 1842年
            
    ナポレオン・ボナパルトの晩年を描いた作品。血で染まった戦場跡のように赤々と落陽する情景の中で、彼はあお貝(カサ貝)に視線を落としている。その姿は己の孤立(孤独)と栄光の終幕を観る者へ容易に連想させる。

  《平和——海上の儀式(水葬)》 1842年 
                       平和——海上の儀式(水葬) 1842年

 ターナーの友人で、異国からの旅の帰途に没した画家デイヴィット・ウィルキーの実際の葬儀をもとに描かれている。黒を多く使った船の描写は、当時のパトロンからも苦情が出て、評判は良くなかったそうだが、彼は「もっと黒を使っても使いたりない」とこの絵を描き上げたそうです。
 今では、この作品は、ターナーの晩年の代表作とされています。

 
 もし、興味がおありの人は、テート美術館のオンラインHPをご覧になって下さい。英語ですが”Joseph Mallord William Turner ”でsurch(検索)すれば、ほぼ、この美術館に展示してあるすべてのターナーの作品を見ることができます。家にいながらにして、ちょっとした芸術の旅に出かけた気分になりますよ。

テートオンライン(英語)

プロフィール

kazanasi

Author:kazanasi
絵画、小説を中心に観たり読んだり、自作で作ったり。サブカル全般に興味があります。暖かい時期には山登りもします。アナログとデジタルの間を行ったり来たりしてる人間です。


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