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小説家になろう 冬の童話祭2014

創作小説サイト 小説家になろうで開催されている「冬の童話祭2014」に2作品を投稿しました。

「小説家になろう 冬の童話祭2014」のサイトはこちら
  ↓






 昨年もこのお祭りに参加させてもらって、毎年、楽しみにしているのですが、今年は作品のランダム表示がなくなってしまって、読んでもらえる機会が減ってしまったのが残念。

投稿した作品は、以下の通りです。2つとも、もみの木をモチーフにしたクリスマスが舞台のお話になってます。


もみの木と彗星と魔法の粉
http://ncode.syosetu.com/n8841bx

【あらすじ】
クリスマスの日に、森の動物の子どもたちは、もみの木をきれいにかざりつけました。けれども、暗い夜には、せっかく作ったクリスマスツリーが見えなくなってしまうのです。そこに、たまたま、森を訪れていたコメットハンター(彗星探索家)の男が彗星の粉を取り出して……。

雰囲気は、まさにムーミン谷。コメットハンターのモデルはスナフキン!(笑)
クリスマスの日の森のちょっとした出来事を童話にしてみました。


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ピータバロ5 樅の木の秘密~secret ornaments

http://ncode.syosetu.com/n4412ca/50/


【あらすじ】
 悪徳な美術学校だったピータバロ・シティ・アカデミアを元の名門校に戻すことに成功したお金はないが、才能溢れる青年画家のキースと、セレブなお嬢様のミルドレッド。けれども、キースには、クリスマスに彼からのプロポーズを待つミルドレッドの期待に答えるという難問が待ち構えていた。ピータバロ4~Last touch~最後の仕上げ から4ヶ月後の話です。

 すでに「小説家になろう」に投稿済みの「ピータバロ」シリーズの5話目。
 童話というより、恋愛ティストが高い作品です。

 お嬢様のミルドレッドへのプロポーズに迷った、画家のキースが、思考錯誤の上で選んだのが、キャンバスに描いたもみの木に、ミルドレッドと一緒に、クリスマスツリーのオーナメントの意味を考えながら、描き入れてゆこうという方法。
 絵本風にお話をすすめてあります。さて、キースとミルドレッドのクリスマスの結末は?

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 ”冬の童話祭2014”は、2/13まで開催されています。
 大きな賞や、ランキングなどがない、お祭りっていう趣旨がいいですね。

 会期が終わっても、作品は残りますので、よろしければ、ご一読くださいね。
     

秋の詩仙堂



11/30(土)に、京都、左京区にある詩仙堂に紅葉を見に行ってきました。

京阪出町柳駅から叡山電車を利用。一乗寺駅下車、徒歩13分というルートを選びましたが、この叡山電車がなかなか良い感じでした。

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 電車内の窓がとても大きく、外の景色がよく見渡せるのも良かったし、一乗寺駅では、駅員さんから直接切符を買ったり、降車の時は渡したり、それが自動改札に慣れた私には新鮮で、駅員さん自体が景色の一部になってる感じがしました。こういう場所では、やはり機械より人がいいなぁ。

さて、坂道を上ってたどり着いた詩仙堂は、徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘で、正確には凹凸窠 (おうとつか) というそうです。

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     詩仙堂の入口 小有洞(しょうゆうどう)の門

 凹凸窠とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、丈山は詩仙の間を含め建物や庭の10個の要素を凹凸窠十境と見立てました。また、丈山は、林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から詩家36人を選び、狩野探幽によって描かれたその肖像を詩仙の間の四方の壁に掲げました。


 堂内は、撮影禁止でしたが、玄関で靴を脱いで中へ入ることができます。この日は土曜日とあって、観光客も多く、皆さん、縁側に座りながら紅葉が美しい庭を鑑賞していました。

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          堂内から見た庭                        紅葉が綺麗です


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              読書室である詩仙の間には、狩野探幽によって描かれた36詩家の肖像画が       


 堂内を見学した後は、また玄関に戻り、靴を履いて次は庭を鑑賞することができます。紅葉が一番綺麗な時でしたので、庭の景色は別格の美しさ。ちょっとした別世界を垣間見た気分になれました。


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           詩仙堂見取図                   庭から見た嘯月楼(しょうげつろう)


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                               紅葉の美しさが目に浸みます


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          地面に落ちた落葉も色とりどりの絨毯のようです

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 詩仙堂は、紅葉の時期の他は、五月のサツキも美しいそうです。修学院も近いし、また、その頃になったら再び京都を訪れてみようかな。

 【詩仙堂アクセス】
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 住所:京都府京都市左京区一乗寺門口町

  拝観時間/営業時間:9:00-17:00
  拝観料・料金:500円

  バスでアクセス: 市バス5,特5番で「一乗寺下り松町」下車徒歩5分
  電車でアクセス: 叡山電車「一乗寺駅」下車 徒歩13分
     

ターナー展に行ってきました



11/14(木)に上野の東京都美術館にターナー展を見に行きました。

上野公園は、紅葉も始まり風景はすっかり秋仕様で、美術鑑賞にはぴったりの季節になりました。

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   青空に紅葉が映えて綺麗でした。 奥に見えるのは国立博物館

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さて、今回のターナー展ですが、ロンドンのテート美術館から、油彩画の名品30点以上に加え、水彩画、スケッチブックなど計約110点を展示し、英国最高の画家として西洋絵画史上に燦然と輝く風景画の巨匠、ターナーの栄光の軌跡をたどる企画だそうです。私が行ったのは、平日のお昼くらいでしたが、それほど混みあっているほどではなく、丁度良いくらいの観覧者数でした。

 ターナーは1775年、ロンドンに生まれました。幼い頃から優れた水彩画に画才を発揮し、後には油彩も始めて、弱冠26歳にして、ロイヤル・アカデミー(王立芸術院)の正会員になります。
 崇高の美を追求し、また、光と色彩が溢れる幻想的な画風は、クロード・モネをはじめとする後のフランス印象派の画家たちにも大きな影響を与えたとされます。日本では、夏目漱石が愛した画家としても有名で、また、イギリス映画の007で、J・ボンドが待ち合わせに使ったのが、テートギャラリーのターナーの絵の前だったり、世界的にも愛されている画家です。

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                ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)
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今回の展覧会は、Ⅰ「初期」~Ⅹ「晩年の作品」に年代順に分けての展示がされていましたが、その中で印象に残った絵を紹介したいと思います。

Ⅰ初期

月光、ミルバンクより眺めた習作 1797年
          月光、ミルバンクより眺めた習作 1797年

ターナーが若い日々を送ったミルバンク。穏やかなテムズ河の様子が伝わってくる作品。暗い夜の景色に浮かび上がる月光の明るさが印象的。


Ⅱ「崇高」の追求

バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」1798年
     バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」1798年

1797年にイングランド北西部を旅したターナーは、多くのスケッチを描き、移り変わる天候や光の描出に力を注いだ。

「堂々たる儚い弓が/壮大にそびえ立ち、ありとあらゆる色彩が姿をあらわす」


 これは、ターナーがこの絵にそえた、落日を迎えた山並みに突如かかる虹を歌ったジェイムズ・トムソンの詩句「春」からの数行です。
         

ターナーの肖像 1852年
                 グリゾン州の雪崩 1810年

ペインティングナイフを駆使した絵肌が、雪崩のすさまじい迫力を伝えている。
 この絵は、実際にグリゾン州で25名の犠牲者を出した雪崩の事故を元にして描かれているが、人の姿はどこにもなく、極端に強調された遠近法や、飛び散る岩石などが、自然の猛威をあらわし、ターナーがそれに「美」に劣らぬ「崇高」を見出そうとした時期の作品。

*迫力があって、会場でもこの絵はよく目立ちました。


Ⅲ 戦時下の牧歌的風景

                「絵画のための習作集、アイズルワース」スケッチブック 1805年頃
               絵画のための習作集、アイズルワース」スケッチブック 1805年頃

     *ハードカバーの本くらいのサイズの小さなスケッチブックに、この細密画です。ターナーって凄い!
       当時のパトロンに、制作前に見せるために、このようなスケッチを何枚も描いていたようです。


   チャイルド・ハロルドの巡礼ーイタリア、1832年
           チャイルド・ハロルドの巡礼ーイタリア、1832年

澄んだ青空の下で踊る人々。遠方には古代ローマ時代の廃墟。17世紀の画家、クロード・ロランの構図にならったこの横幅約2.5mもある作品の中でひときわ目をひくのは、傘のように枝を張った松だ。
 実は、この絵のことを、文豪の夏目漱石が、小説「坊ちゃん」の中で、教頭の赤シャツと画学教師の野だいこの台詞として取り上げている。彼らは、小さな島に生える松を眺めてこんな会話をしている。

「あの松を見給え。幹が真っ直ぐで、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だいこにいう…中略)…すると、野だいこが、どうです教頭、これからあの島をターナー島と名付けようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、われわれはこれからそういおうと賛成した」 

四十島
 二人の会話のモデルになったといわれている松山市の名称「四十島」。
 地元では、今も「ターナー島」の愛称で親しまれているそうです。地元有志で作った「ターナー島を守る会」もあるそうで。

 また、英文学を学び、英国留学の経験のある漱石は、評論「文学論」の中で、

 - かのTurner(ターナー)の晩年の作を見よ。彼が画(か)きし海は燦爛として絵具箱を覆したる海の如し -  

 と、ターナーに賛美を送っています。特に、ターナーと同世代に生きた英国の詩人バイロンの物語詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」をモチーフとした同タイトルの絵は、漱石の興味を引いたのでしょうね。
 
                                        (朝日新聞、11/17の記事より)




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      スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船 1808年

ターナーは、ナポレオン戦争を契機に海戦の主題に興味を抱き、いくつかの大作を手掛けている。本作は1807年に英国とデンマークが衝突し、降伏したデンマーク軍艦の護送の様子を描いている。


Ⅳ イタリア

ラファエロ
 ヴァティカンから望むローマ、ラ・ファロナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ 1820年

 幅3メートルを越える大きな作品で、ルネサンス期を代表する偉大な画家ラファエロを讃えるもの。

 ターナーがこの作品を発表したのは、折しもラファエロ没後300年にあたり、ターナーは、16世紀にラファエロと弟子たちが装飾をほどこしたサン・ピエトロ広場を見下ろす優雅な回廊に、ラファエロ本人を、その右側には「ラ・フォルナリーナ」(パン焼き娘)の名で知られる、恋人でミューズであったマルゲリータ・ルティの後ろ姿を描いた。
 ラファエロの周りに様々な美術品が並んでいるのは、絵画、素描、彫刻、建築設計の広い分野に発揮した多才ぶりを讃えるもので、また、この絵を描くことで、ターナーは自分自身も技を究めた名匠であり、ラファエロの衣鉢を継ぐ者であることを世間に示そうとした。

*絵の中央に、先に上野の国立西洋美術館の「ラファエロ展」にも展示された「聖母子」の絵もありますね
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         ラファエロ「聖母子」



            ターナーの肖像 1852年
                         レグルス 1828年(1837年に加筆)

 古代ローマの将軍マルカス・アティリウス・レグルスは、第一次ポエニ戦争(紀元前264-241年)でカルタゴの捕虜となった将軍。
 伝説によると、レグルスは暗い地下牢に閉じ込められ、瞼を切り取られる。その後、牢獄から引きずり出され、陽光に当たり、失明する。ターナーは瞬きしないレグルスの目が眩いばかりの陽光に晒される悲惨な瞬間を絵画化して不朽のものとした。

*実際に絵の前に立って見ると、この絵の光は本当に眩しいです。絵に関するエピソードにも心打たれます。


Ⅴ 英国における新たな平和

このコーナーでは、ターナーがスポンサーの屋敷があるペットワースに招かれた時に描いたスケッチを元に制作した作品が主に展示されていました。

ペットワースは,ロンドンとスポーツマスのほぼ中間にある丘陵地帯で、当地のペットワース館を有する伯爵イーグルモント3世はターナーをはじめ、多くの芸術家のパトロンとなり、その館を自由な芸術的創造の場に供したとされています。
  ペットワース館に滞在中の1827年夏、ターナーは館の内外をブルーの紙に水彩でえがき,その数は135枚に達したそうです。

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    今はイギリスの観光名所になっているペットワースの館

         ペットワースの庭園の鹿 1827年
                   ペットワースの庭園の鹿 1827年

ペットワースハウス「オールドライブラリ」でテーブルに向かう男、1827年
     ペットワースハウス「オールドライブラリ」でテーブルに向かう男、1827年

   
 ターナーはこの館で、スポンサーからの求めに応じた絵を描くのではなく、自由なテーマで制作を行ったようです。絵からもゆったりとした感じが伝わってきました。


Ⅵ 色彩と雰囲気を巡る実験


 実験的とタイトルにもあるように、後に興る印象派の元祖のような作風。クロームイエローというターナーが好んだ黄色が沢山使われいます。当時は、カレーマニアと揶揄されたそうですが、私は、この時代のターナーの絵の雰囲気は、色合いや形が目に優しくてけっこう好きです。

      黄色い砂上の上の青い月影 1824年頃
                    黄色い砂上の上の青い月影 1824年頃


              三つの海景 1827年頃
                      三つの海景 1827年頃

  三つの別の海の景色を一枚の絵に積み重ねて描いたものだそうです。一番上と一番下は上下が逆さまです。どこが継目でそれぞれがどんな絵かは、会場へ行くと分かりますよ


Ⅶ ヨーロッパ大陸への旅行

ハイデルブルク 1844-45年頃
                         ハイデルブルク 1844-45年頃

 宗教戦争に敗れてオランダへ亡命してゆく冬王、フリードリヒ5世と妃エリザベス・スチュアートの悲劇を描いています。向かって左下に彼らの姿が見えますね。この絵も大きくて一際目立っていました。


Ⅷ ヴェネツィア


《ヴェネツィア、嘆きの橋》1840年
                  ヴェネツィア、嘆きの橋》1840年


 嘆きの橋とは、ドゥカーレ宮殿と囚人が収監される牢獄の間にかかる橋のこと。豪華な宮殿の前には牢獄の門。この対比が興味深く、少し哀しい感じがしました。


         《ヴェネツィア、月の出》1840年
                      ヴェネツィア、月の出 1840年

         ますます絵が幻想的になってきました。月の光を受けた水の色がメルヘンチックです。


「サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む」 1843年
           サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む」 1843年

  実際の地図では、サン・ベネデット教会はこの方向にはないそうですが、表現のためには”ない”ものを”ある”ように描いてしまうターナー、おそるべし!



Ⅸ 後期の海景図

海の惨事 1835年頃
                       海の惨事 1835年頃

 ロマン派のテオドール・ジェリコーの作品「メデュース号の筏」に影響を受けた絵。

メデューズ号は、1816年7月5日、今日のモーリタニア沖で座礁し、乗客のほとんどが救出までの13日間で死亡し、生き残った人も、飢餓、脱水、食人、狂気にさらされることになった。ジェリコーの作品はその様子を赤裸々に表わしている。この絵に影響を受けた画家たちも多く、ターナーもその中の一人。

     【参考】   
     メデュース号の筏 テオドール・ジェリコー
            「メデュース号の筏」 テオドール・ジェリコー 1818年


日の出 1835-40年頃
                         日の出 1835-40年頃

 1810年代から作られた「カラー・ビギニング(色彩のはじまり)」と呼ばれる習作群の中の一つ。ターナーは拭いたり、こすったり、洗ったりまでして、絵の具の新たな扱い方を見いだそうとしている。

 ターナーの手法の魔法でしょうか、絵の中から本当に光が溢れてくるようです。
      

Ⅹ 晩年の作品


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                         戦争、流刑者とカサ貝 1842年
            
    ナポレオン・ボナパルトの晩年を描いた作品。血で染まった戦場跡のように赤々と落陽する情景の中で、彼はあお貝(カサ貝)に視線を落としている。その姿は己の孤立(孤独)と栄光の終幕を観る者へ容易に連想させる。

  《平和——海上の儀式(水葬)》 1842年 
                       平和——海上の儀式(水葬) 1842年

 ターナーの友人で、異国からの旅の帰途に没した画家デイヴィット・ウィルキーの実際の葬儀をもとに描かれている。黒を多く使った船の描写は、当時のパトロンからも苦情が出て、評判は良くなかったそうだが、彼は「もっと黒を使っても使いたりない」とこの絵を描き上げたそうです。
 今では、この作品は、ターナーの晩年の代表作とされています。

 
 もし、興味がおありの人は、テート美術館のオンラインHPをご覧になって下さい。英語ですが”Joseph Mallord William Turner ”でsurch(検索)すれば、ほぼ、この美術館に展示してあるすべてのターナーの作品を見ることができます。家にいながらにして、ちょっとした芸術の旅に出かけた気分になりますよ。

テートオンライン(英語)
     

宝塚歌劇 「愛と革命の詩」~アンドレア・シェニエ


10/16(水)東京宝塚劇場に花組公演 ~「愛と革命の詩」アンドレア・シェニエ~、ショー・オルケスタ『Mr. Swing!』を観に行きました。
 おりしも超大型台風26号が午前は関東を直撃?! という悪天候でしたが、公演時間の午後6:30までには、強風は残っていたものの台風も去り、無事に観劇することができました。良かった~。

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「愛と革命の詩」は、イタリアオペラの中でも傑作の一つと言われるジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」をベースにしたミュージカルです。

★物語のあらすじはこんな感じです:

バスティーユ牢獄への襲撃から始まったフランス大革命後、詩人のシェニエ(蘭寿とむ)は、帰国後、「自由」「平等」「博愛」の理念に共感し、穏健派の一員として革命に参加するようになる。この時、シェニエ28歳。
 だが、国内では、ルイ16世処刑後、ジャコバン派のロベルピエールらが、独裁権力を握り、恐怖政治を行っていた。これに対し、論客として革命の理想を説いたシェニエは、牢獄へ投獄され、ついには32歳の若さで断頭台の露と消える。
 この物語に、シェニエに永遠の愛を誓う伯爵令嬢 マッダレーナ(蘭乃はな)革命の理想と現実の間に行き場を失う革命政府の闘士ジェラール(明日海りお)などの登場人物を加え、当時の人々の生活や思想なども反映させた奥深い脚本がみどころ。



 劇場は、立ち見も大勢出る盛況ぶりで、堅実なストーリーながらも、シェニエとマッダレーナの愛は、”どえらい”ラブロマンスと、事前に聞いていたとおりの感動のラストでした。

 特に注目したのは、大きな羽根を広げた舞台デザインです。他の色を抑えた銀色の色調が優美で華麗。
 そして、台詞はなく、歌うこともなく、ただ時折に姿を見せてやんわりと踊る、実在の人物ではない観念としての Angel White(白い天使)と、Angel Black(黒い天使)が、不思議な存在感を見せていました。

 白天使:この世の善なるものの象徴と、黒天使:この世の悪なるものの象徴を現しているそうですが、この2天使を演じた大型新人の(冴月留那)、(柚香光)の演技は、ファンタジックでとても印象に残りました。特に黒天使を演じていた柚香光さん、素敵っ。


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               銀色を主体にした舞台。優美という言葉がぴったりです。


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      白天使と黒天使、片翼ずつで一人です
      人の心の光と闇といったところでしょうか          黒天使の柚香光 素敵♥



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       シェニエの詩によって真実の愛に目覚めるマッダーレナと、シェニエの再会のシーン


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 投獄されたシェニエ 獄中でも詩を書き続ける


 お話のクライマックスとなる哀しくも美しいラストシーンですが、ネタバレしてしまうと、

 シェニエが捕えられてる牢獄にやって来た、マッダレーナはシェニエと同時に死刑となる予定だったレグリエという名の若い女性の身代わりになると言う。
 ジェラールはこの時、マッダーレナを止め、ロベスピエールにシェニエの命ごいをしょうと提案するのですが、
シェニエとマッダレーナは、愛し合ったまま共に死ねる幸せを歌い、刑執行の時を迎える。

 看守が死刑囚の名を点呼する。「アンドレア・シェニエ」「私だ」、「イディア・レグリエー」「私です」。2人は誇らしげに、ギロチンへと向かう。


 現代風なラブロマンスでは、こうはならないだろうなぁと思わせてしまうラストで、これが映画や普通の演劇だと、かなり重くなってしまうようなシーンですが、死に向かってゆく二人が、まるで夢の世界へ旅立って行くように思わせてしまう。そこに、宝塚ならではの演出と、役者さんの魅力を存分に感じてしまいました。

劇中には出てきませんが、アンドレア・シェニエの代表的な詩
「囚われの若き女」を紹介しておきます。静かな語り口だけれど、力強く人の心に響いてくるこの詩は、現代でも、人の心を捉えてしまうのではないでしょうか。いい詩だ~。

【囚われの若き女】

穂立ちの麦が利鎌をよそにみのり、搾られる恐れを知らず、夏の葡萄が、
暁のもたらす甘い露をふくむ、私もまた、そのように、美しく、若い、
いかにいま、不安に悩み、苦しみに喘ごうとも、まだ死にたくない。


涙涸れた苦行の徒なら、いさぎよく死を迎えがよい、しかし私は歎きつつ
希望を捨てない 陰惨な北風に、頭は伏すとも折れはしない。


苦しい日があれば、きっと楽しい日がある! ああ!
口に苦さを残さぬ蜜があるか? 嵐をもたぬ海があるか?


幻想はゆたかに住む、私の胸に、牢獄の壁がいかに重くのしかかるとも、
私にはある、希望の翼が。


残酷な鳥刺しの網をのがれ 空の広野に 嬉々として力いっぱい、
鶯(ナイチンゲール)は、うたいつつのぼる。


死ぬというのか、この私が? 静かにに眠り、静かに目ざめ、
目ざめるときも、眠るときも、心を責める何もない私が。


生きる私を迎える人々の眼は、すべて頬笑む、ここにいて私を見れば、
打ちひしがれた人々の面もむしろ喜色によみがえる。



そして、劇の後は、文句なしに楽しい ショー・オルケスタ『Mr. Swing!』です。
ショーの花組と言われるだけあって、1時間があっと言う間。まさに宝塚の醍醐味を楽しむことができましたよ♪

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 今回は観覧特典というのでしょうか、宝塚特製のクリアファイルももらえましたし、大満足でした!
 前回、観た「モンテクリスト伯」は星組。今回の「愛と革命の詩」は花組だったので、次は別の組も観てみたいです。

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                クリアファイル  公演後半だと写真が違うそうです。

     

春日大社~鹿の角切


10月13日に、春日大社に近い奈良公園で行われた鹿の角切を観てきました。
といっても、事前に計画していたわけではなく、たまたま用事で大阪の実家に戻っていた時にTVで観たNHKのニュースで、このイベントが10月のこの3連休だけに行われていることを知り、「そうだ! 奈良に行こう!」と、思い立ったのでした。せっかく、関西に来てるんだもん。近鉄電車に乗ってGO(大阪からはJRでも行けます)
近鉄奈良駅から春日大社までは、徒歩で20~30分ほど。けっこう距離がありますが、奈良公園には野生の鹿が沢山いて、かわいい姿を見せてくれます。


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  木漏れ日の中の小鹿がかわいい。                 鹿せんべいちょうだい。
  でも、近づきすぎると、親鹿が攻撃してくる場合も!


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                                 春日大社の参道。万灯篭の時はこの灯篭に灯りがつきます。

鹿の角切りは、江戸時代初期の寛文11年(1671年)より、今日までおよそ330年あまりに受け継がれてる伝統行事で、発情期をむかえた牡鹿の角により、人が危害を受けたり、鹿がお互いに突き合って死傷するのを防ぐために奈良奉行が当時の管理者である興福寺の許可を得て始めたと伝えられています。

会場近くまで行くと、紅白の幕で仕切られた会場の前に長蛇の列が! このイベントを観ようと、けっこうな人が集まっていました。

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平成25年、7月時点で、奈良公園の鹿の総数は、1,393頭。国が指定した天然記念物なので、とても大事に保護されていますが、死因は交通事故、疾病が多いようです。

角切りに、皆が思う疑問に「角を切られて、鹿は痛くないの?」というのが多いようですが、上図のように10月頃の牡鹿の角は神経が通っていないので痛くないし、血も流れません。ただ、4月頃から8月頃までは、血が通っているので、この頃に切ると多少の痛みは感じるようです。

さて、鹿の角きりですが、30分ほど、並んだ後に、会場に案内されました。サッカーグラウンドを狭くした感じの場所で、階段状になった観覧席から角きりを観ることができます。説明役の方に軽妙なアナウンスとともに、鹿を追う勢子たちが入場。法被姿に手には縄。なかなかのかっこ良さです。


 江戸時代から続くこの伝統行事を支えるのは、この行事の花形ともいえる勢子(せこ)。18名。鹿を捕まえ、神官役が角を切る際に暴れないように押さえる役目などを担う勢子は、奉仕によって支えられているそうです。

 角きりは、勢子が楕円(だえん)型の角切り場に3頭の鹿を追い込み、赤い旗の付いた竹ざおを持って並び、鹿を縁(ふち)に沿って走らせるように誘導。そして、クロスさせた竹の回りに縄をかけた「十字」と呼ばれる捕獲具をシカの角目がけて投げ、縄をかけて鹿の動きを止めると、徐々に縄をたぐり寄せて暴れるシカを押さえて捕らえる流れ。この時にもきちんとフォーメーションが決まっているようで、

「きれいに回そ! きれいに回そ!」
「一列に並ぼ!」

 など、独特の言い回しで掛けられる勇猛な掛け声は印象的でした。

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      一匹の鹿だけを追いこんで、                 綱を角に掛けて捕えた鹿を柱に括りつける
      他の鹿には見えないように幕を引く


 普段は皆それぞれの職業で普通の生活を送っている勢子は、毎年この伝統行事を守っているという誇りとプライドを胸に、鹿を守るために、観衆を楽しませるために、当日にこの場所に集まり心を一つにして角きり場で活躍しています。


    短いですが、動画だと少しは迫力が伝わるかな。
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 鹿を捕えるのは勢子ですが、角を切るのは神官です。春日大社の鹿は神聖な動物なのです。

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                           みごとに2本の角を切ることができました。

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       角を切った後に暴れるので、鹿を解放するにも、気が抜けませんね。


 角切りを観た後に春日大社の方にも参拝してきました。相変わらず、綺麗な社屋です。

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 今回は、たまたま、だったものの、奈良の伝統行事を観ることができて、とてもラッキーでした。勢子には若い人も何人かいて、ベテランの方と一緒に参加されていました。友達が見にきていたようで、「かっこ良かったよ!」の声援に、「俺…今日は、何にもしてなかったから」と、恥ずかしそうに頭をかいていた姿が印象的でした。きっと、何年か後(来年?)には、大活躍しますよ。頑張って。

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Author:kazanasi
絵画、小説を中心に観たり読んだり、自作で作ったり。サブカル全般に興味があります。暖かい時期には山登りもします。アナログとデジタルの間を行ったり来たりしてる人間です。


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